自己紹介という名の存在証明

3人のクリエイターが問う「何者であるか」

メタクリラジオ Ep.01 2025年9月22日 タムカイ ・ Opi ・ 大里P

Introduction はじめに

メタクリラジオの第1回は、自己紹介から始まる。プロデューサーの大里Pが丁寧に用意した構成台本は、しかし収録開始から数分と持たなかった。Opiはゲーム実況者の「そんなわけで」問題を語り出し、タムカイは「これがスタートで大丈夫だな」と静かに宣言する。

自己紹介は、3人にとって単なるキャリア紹介ではなかった。所属で自分を語ることへの根深い違和感、肩書きを「盛る」ことへの批判、そして予約困難な寿司店と町寿司の対比に見え隠れする「実績」と「人柄」の二項対立——。話題は跳び、重なり、また跳ぶ。そして最後に「息して生きてるだけでクリエイティブ」という言葉が、この番組の射程を一気に押し広げる。

3人がそれぞれの「戦略性」を胸に、韓国料理屋のテーブルで始めた実験的ラジオショー。その第1回の記録を、ここに残す。

Chapter 01 「そんなわけで」始まるラジオ——3つの自己紹介とストレングスファインダーの偶然
🎙️

Opi

「メタクリラジオ。あのユーチューバーの始まり方が最近すげえ気になってて。「緊急で動画回しますね」。大体ほとんどの印象は、「はいどうもー! そんなわけでね、ゲームの実況をやっていきたいと思います。今日はNintendo Switch2のマリオカートのワールドをやっていきます。それではレッツゴー!」っていう。そんなわけで、めちゃめちゃ気になってるわけですよ。何がそんなわけやねんみたいな。これね、ゲームの実況の人相当言ってるんで、ゲーム実況者のそんなわけで問題についてはね、いつかね、なんだったら一時間抑えて語りたいぐらいな。」

メタクリラジオは、こうして始まった。大里Pが用意した「ちゃんとした構成台本」——2人の自己紹介を中心に据えた、真っ当な進行表——を横に置き、Opiはゲーム実況者の「そんなわけで問題」という完全に無関係な話題を繰り出す。そしてタムカイが少しの間を置いて、静かに宣言する。

タムカイ

「もうなんかこれがスタートで大丈夫だなって思ってきたんで、どんどん始めていきます。」

台本を手にしつつ台本から逸れるという、この番組の基本姿勢が初回の冒頭で確立された。

しかし台本にも従わねばならない。Opiは大里Pからの指令を受けて、自己紹介の話題に舵を切る。

Opi

「今日ね、大里Pからキャリアの話と自己紹介しろって言われてて。で、やっぱり自分の自己紹介をしなきゃいけないんですよ。で、大里Pからもうめちゃめちゃこう、ちゃんとした構成台本が送られてきていて。で、普通にやると、じゃあ僕の方から始めましょうか、自己紹介みたいなあって。で、多分ね、タムカイさん、お前めっちゃそれつまらんやんみたいな思ってる。」

Opi

「今、タムカイさんが外向けにやってる自己紹介ってどんな感じでやってます?」

タムカイ

「自己紹介迷子40何年やってきたんですけど、今僕が多分今自己紹介するとすれば、株式会社アフレータスの代表で、富士通デザインフェロー。個人としてはラクガキライフコーチとして、いろんな人の創造性を高める仕事をしてます。タムカイことタムラカイです。みたいな感じですかね。」

アフレータス(Afflatus)

ラテン語で「神的霊感」「インスピレーションの息吹」を意味する。語源はad(〜に向かって)+flare(吹く)。タムカイが設立した会社名であり、創造性を外から吹き込まれるものではなく内側から湧き出るものとして捉え直す姿勢がこの名前に込められている。

この対話の文脈では、「自己紹介迷子40何年」のタムカイが最終的に選んだ看板であり、富士通デザインフェローでもラクガキライフコーチでもなく、「霊感の息吹」をそのまま社名にしたという選択自体が、所属ではなく衝動で自分を語ることへの回答になっている。

「自己紹介迷子40何年」。この一言に、タムカイのキャリアへの複雑な距離感が凝縮されている。肩書きが多すぎるのではなく、どの肩書きも自分の一側面でしかないという感覚。

タムカイ

「キャリアのスタートとしては富士通でUIUXのデザイナーとして働き始めて、個人の活動、先のラクガキの活動っていうのを会社の外でやるようになって。そこでいろんな対話のワークショップを作っていたものを、富士通という会社の全社変革の中に逆輸入する形でいろんなことをさせていただいて、今は自分で事業探索をするというのを会社からも認めてもらう形で、自分の会社アフレータスっていうのを立ち上げて、何の事業やろうかなって、本当に事業探索してるみたいな感じです。」

富士通でUIUXデザイナーとして始まり、社外でのラクガキ活動を会社の全社変革に「逆輸入」し、最終的に自分の会社で事業探索をしている。一本道のキャリアではないからこそ、自己紹介は常に「迷子」なのだ。

Opi

「今日番組始まる前に自分の話が終わったらこうやってグーしてキューを出してくださいって言ったのにやらねーみたいな。」

タムカイ

「できないですよこれ。」

続いてOpiが自己紹介を始める。

Opi

「元ネイキッドの大谷です。中学生の頃からオッピっていうあだ名があるので、パソコン通信が始まった黎明期からオピって名乗ってたら、もう仕事始めてから、もう大多数の人、嫁も含めてOpiさんとかOpiたんとかOpiちゃんとかいう感じになるので、一応、大屋という名前でやってるんですけども、Opiって呼ばれることの方が多いです。」

Opi

「ネイキッドという会社を97年に設立して、クリエイティブ業界の中ではほんのちょっぴり話題になって、東京駅のプロジェクションマッピングとか、いろんなところで空間演出っていうのをやらせていただいて、4年おきに行われる某世界的な大会とかにもちょっと関わらせていただいたりとかしまして。97年設立だから23年ぐらいネイキッドにいて、2021年に某有名な世界大会が終わったのと同時にちょっと卒業させてもらって、今は八丈島に住んでいます。」

NAKED Inc.

1997年にOpi(大屋)が設立に関わったクリエイティブカンパニー。東京駅のプロジェクションマッピングをはじめとする大型空間演出で知られ、クリエイティブ業界では「ほんのちょっぴり話題になった」(本人談)存在だった。「4年おきに行われる某世界的な大会」への関与も語られる。

この対話の文脈では、23年間在籍し2021年に「卒業」した原点であり、後の章で語られる「元の所属で自分を語ること」の具体例として機能する。パソコン通信の黎明期から「オピ」を名乗っていたという事実は、本名より先にハンドルネームがアイデンティティを獲得した最初期のネット世代の肖像でもある。

「ちょっぴり話題になって」「ちょっと関わらせていただいたり」——東京駅のプロジェクションマッピングという日本のメディアアート史に刻まれる仕事を、この控えめさで語る。Opiの自己紹介には、実績を主張するのではなく少し引いて見せるという独特の距離感がある。

そして3人目。初回にして唯一、マイクをオンにした大里P。

大里P

「大里と言います。ちょっとこのPということで関わっていますが、本職としては編集者ですね。書籍を作ったりWebのコンテンツを作ったりっていう仕事をいろいろやってきて、ちょっとタムカイさんと同時期でですね、またちょっとキャリアを変えようというところで全然違うインハウスの事業会社に所属して、まだ数ヶ月という感じで、ちょっと新人をやり直しているというところで、先輩お2人の話をたくさん聞けたらなと思ってます。」

Opi

「堅いね。」

普段はチャットで指示を出す「唯一のリスナー」。わがままを言いつつ、視聴者の代弁者にもなりつつ、プロデュースも資金調達もこなす存在。タムカイは大里Pの役割をこう紹介する。

タムカイ

「普段は僕らにチャットで指示を出してくるという、唯一のリスナーに向けてやっているラジオ番組っていうコンセプトでやっています。」

Opi

「だから僕らは大里Pが納得すれば、僕ら2人ではもうオッケーでいくみたいな。」

番組の始まったいきさつは、偶然の連鎖だった。

Opi

「この前、そのライターの人がナムコのゲームクリエイターさんの話聞いたらめちゃめちゃ面白くて、それをお裾分けしたいんだけどこれ聞きたい人いますかっていうのが流れてきて、行く行くって言って、めちゃめちゃその話は面白くて。なんか結構テンション上がって、二次会どっか行きたいなって言った時に集まっちゃったのがこの3人です。幸か不幸か。」

ナムコのゲームクリエイターの話を聞いた帰りの二次会。「幸か不幸か」集まった3人が、韓国料理を食べながらお互いを探っていく。そこで、思いがけない共通点が発覚する。

タムカイ

「リアルであったのは2回ぐらいで。チャットでこの企画会議しながら、お互いのどんな性格なのかっていうのを探っていくんですけれど、ストレングスファインダーっていう自分の強みみたいなのを診断するテストの上位をなんとなく共通でポって投げたら、全員トップファイブの中に戦略性があったと。」

ストレングスファインダー(CliftonStrengths)

米Gallup社が開発した強み診断ツール。34の資質から個人の上位5つを特定する。「戦略性(Strategic)」は複数の選択肢を瞬時に比較し最善のルートを直感的に見抜く力を指し、出現頻度は34資質の中でも比較的低いとされる。

この対話の文脈では、3人全員のトップ5に「戦略性」が入っていたことが番組開始の決定打になった。「やろうぜって楽しいって言ってる裏でいろんな何かを抱えながら」という二面性——表向きのノリの良さと裏での冷静な計算——は、まさに戦略性という資質の発露であり、このラジオの「計算された自然体」という性格を暗示している。

滅多に出ないと言われる「戦略性」が3人全員に。タムカイは、この偶然の裏に隠れた必然を読み取る。

タムカイ

「全ての人がこれやろうぜって楽しいって言ってる裏でいろんな何かを抱えながらここに集まってきたんだなっていうのはすごい感じた。大里Pが一番出してたんですよね。「絶対これ俺の得になるわ」っていう顔でお二人に「お二人の話聞きたいっす」って絶対肌をテカらせながら僕らに言ってきたので。」

Opi

「韓国料理食いながらね、じゃあやるかみたいな。」

Opi

「大里Pがそれ俺得しかないじゃないですかとか言われると、なんかじゃあ頑張っちゃおうかなみたいな感じで始まったっていうのがこのラジオ。」

こうして、ナムコのゲームクリエイター→二次会→韓国料理→ストレングスファインダーの偶然→「じゃあやるか」という流れで、メタクリラジオは産声を上げた。

そして「メタクリエイティブ」という番組名の由来。

タムカイ

「クリエイティブっていうのが今までの仕事、キャリアの中ですごく重要なテーマだったなっていうのは思っていて。ただ他方、分かり合える人とはすぐに、クリエイティビティ大事だね、創造性だねって言えるものの、多くの人にその話をしても、「いや、私にはちょっとこういうのないんで」とか「自分ちょっと違うんで」ってやっぱり言われてしまうことがあって。クリエイティブっていうのをテーマに置きながら、それをちょっと外側から見てみて、「あれもクリエイティブって言えるよね」「こういう要素の中にもクリエイティブってあるよね」みたいなのが話せたらなと思って、メタクリラジオっていうタイトルを作らせてもらったんですよね。」

「メタ」は、クリエイティブを外側から——より高い視座から——眺め直すための接頭辞だった。自分たちもクリエイティブの当事者でありながら、そのことについてメタに語る。この二重性が、番組の名前に刻まれている。

Chapter 02 昔の名前で出ています——所属と肩書きの功罪
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自己紹介が一巡したところで、Opiが核心を突く問いを投げかける。

Opi

「ちなみにさっきキャリアの話したじゃないですか。自己紹介する時にこだわるというか、自分の中で引っかかりになる部分って自己紹介ってありません?」

タムカイ

「どっちですか、その引っ掛けるために使ってる言葉と、元の所属の話をするのか、じゃないですけれど。」

Opi

「やっぱり一番元の所属じゃないですか。昔の名前で出ています的な。」

「昔の名前で出ています」——この小林旭の歌のフレーズに、2人に共通する居心地の悪さが集約されている。過去の所属で自分を語ること。それは事実ではあるが、今の自分を表す言葉としてはどこか借り物の感触がある。

自己紹介と印象管理

社会学者アーヴィング・ゴフマンは『行為と演技——日常生活における自己呈示』(1959年)において、人は社会的場面で常に「印象管理(impression management)」を行っていると論じた。自己紹介とは、まさにこの印象管理が最も意識的に行われる瞬間である。ゴフマンの言う「表舞台(front stage)」と「裏舞台(back stage)」の概念を借りれば、肩書きは表舞台の衣装であり、その下にある個人的な物語は裏舞台に属する。

この対話の文脈では、タムカイが感じる「打算」は、表舞台の衣装が自分自身を覆い隠してしまう感覚であり、Opiの「昔の名前で出ています」は、すでに脱いだはずの衣装をまだ着せられているという違和感の表明である。

タムカイは、富士通という名前を使うことの「打算」について率直に語る。

タムカイ

「今からこう話す時に聞こうかなの気持ちを想起するために、みんなが知っている要素を使うという意味で使ってる感というか。どっちも事実ではあるが、打算も入ってしまってるみたいにちょっと感じる時があるんですよね。」

相手に話を聞いてもらうための「フック」として大企業の名前を使う。事実であることと打算であること、その二つは矛盾なく共存する。だが、その共存が居心地の悪さを生む。

Opi

「実際、大企業だとマウンティングっていう要素も出てきちゃうじゃないですか。」

タムカイ

「そうなんですよね。それもある。で、僕は幸いにしてというか、まだ会社の方からお前会社名出すんじゃねえよみたいなのがある関係性ではないので、ちょっと使わせてもらってますけどね。世の中にはやっぱり某IT企業のとか、大手IT企業で十何年営業をやった後みたいな出さないやつもいれば、本当かみたいなビッグテックの会社が元に入ってる人とかいるんですけれども。」

「某IT企業」「大手IT企業で十何年」——社名を隠しながらも、その規模感だけは匂わせるという匿名化の技法。そして、この葛藤に正面から向き合った過去を明かす。

タムカイ

「僕、富士通のタムカイさん、なんなら富士通さんって呼ばれてるなって思ったことがあって、所属を一切全部隠して、会社の外でいろんな人と会って、仲良くなった人は会社名を知ってるけれども、前に出さないっていうのを1回やったことがある。」

パーソナルブランディングの逆説

マーケティング理論において、パーソナルブランディングとは個人を「ブランド」として差別化する戦略を指す。トム・ピーターズが1997年のFast Company誌で「Brand Called You」を提唱したのが端緒とされる。しかしこの概念には逆説が潜んでいる。ブランドを「構築」しようとするほど、本来の自分からは遠ざかる可能性がある。

この対話の文脈では、タムカイが所属を隠す「実験」をしたこと自体が、パーソナルブランディングの限界への気づきだった。「富士通さん」と呼ばれた瞬間、個人のブランドが組織のブランドに飲み込まれたことへの反発。所属を消すことで、逆に「何を語れるか」だけが残る——その引き算のブランディングが、結果的にタムカイをラクガキライフコーチという独自の肩書きへと向かわせた。

「富士通さん」と呼ばれた瞬間、自分の名前が組織名に溶けた。所属を隠すという実験は、名乗りの本質が「何者であるか」ではなく「何を語れるか」にあることを体感させたのかもしれない。

一方のOpiは、所属とはまったく異なるアプローチで自分を紹介する方法を見つけていた。

Opi

「僕なんかは今、八丈島に住んでるんで、今、八丈島に住んでるおじさんですみたいので、最初に取れるんで、なんか結構そういうふうに入ることが多いんですけど。大里Pとかはまだ若手なんで、こう、自分の肩書きどう盛ればいいですかっていう謎の質問が飛んできて。どう盛ればいいですかって。いや、盛ったらあかんだろうみたいな。」

「八丈島に住んでるおじさんです」。この自己紹介は、所属でも実績でもなく、現在の生活そのもので自分を語るやり方だ。一方で大里Pからは「肩書きどう盛ればいいですか」という率直すぎる質問が飛んでくる。ここに世代間の温度差が見える。

タムカイ

「盛る僕らも盛ってるイメージではないんですよね。そのこう、誠意としてつけた方がいいかなと思ってつけているところもあるし。」

Opi

「意識高い系の若者は八丈島にいっぱいやってくるんですよ。地方創生に興味があってって。PR事業の立ち上げに従事する傍らとか書いてあるんですよ。販促イベントに2週間バイトしてただけじゃねえかみたいな。もう盛りすぎだろうみたいな。」

Opi

「こちとら何人のその履歴書とか職務履歴書とか見てきてると思ってると。お前その業界で活躍して本当にこの結果だったら俺知ってるはずだよみたいな。盛っていいことは1ミリもないです。それよりも最近これに興味があってって、その興味が、その発想がなかったっていうやつの方が次声かけますよね、若手。」

肩書きを飾るよりも、「最近これに興味がある」という一言の方が、人の心を動かす。過去の実績よりも現在進行形の好奇心——これは後に語られるクリエイティビティの定義にも通じる重要な指摘だ。

タムカイは、盛りの対極にある戦略を実践していた。

タムカイ

「僕初めて会う人にはやっぱりまだ受けるのが、水玉の服を着て15年になりますタムカイです、っていうのはありますね。本当に何気なく最初に着てたやつが続けば続くだけ人の中で驚きの価値に変わっていって、最後、自分の会社作る時に着てた服の柄でそのまま作るみたいになってると「うおー!」ってなるので。これって多分盛ったりとか背伸びしてるわけじゃないというか。」

継続のブランディング

ブランド論においてケビン・レーン・ケラーは「ブランド・エクイティ(brand equity)」を、消費者の心の中に蓄積された知識の構造として定義した。意図的に設計されたブランドイメージとは異なり、タムカイの水玉の服は偶然から始まり、15年の継続によって固有の物語になった事例である。

この対話の文脈では、水玉の服は「盛り」の正反対に位置している。盛りとは過去を膨張させる行為だが、水玉は現在の継続を可視化する行為だ。何気なく着始めた服が、気づけば自分の会社のロゴになっている——この「意図せざるブランド形成」は、Opiが語る「最近これに興味がある」という現在進行形の価値と同じ原理で動いている。

15年間、水玉の服を着続けた。それは戦略として始めたのではなく、偶然の積み重ねが固有の物語になった例だ。盛るのではなく、続けることで価値が生まれる。

Opi

「ネイキッドはやっぱり97年に設立に関わっているので、自分の子供みたいなもんだから卒業したとはいえ、自分の子供と縁切ったわけじゃないからみたいな感じなので、僕はその元ネイキッドということに名乗ることにはそんなに抵抗はなかったりはするんですよね。」

大企業に「入った」人間と、ベンチャーを「産んだ」人間。所属と創設では、名前に対する関係性がまるで違う。タムカイにとっての「富士通」は借りた衣装だが、Opiにとっての「ネイキッド」は自分の子供の名前なのだ。

タムカイ

「だから僕は逆で、そのキャリアの初めに大きい会社に入ってしまったので、会社名だけは日本の多くの人が知っている。ある時に「わっ」って悩んだのが、僕、富士通のタムカイさん、なんなら富士通さんって呼ばれてるなって思ったことがあって。」

タムカイの「わっ」という感嘆に、自分の名前が消えた瞬間の衝撃が滲んでいる。大企業の名前は、フックにもなるがアイデンティティの覆い隠しにもなる。盛りとも打算ともつかない灰色の領域で、2人はそれぞれの答えを模索し続けている。

Chapter 03 お寿司とラジオの相似形——予約困難店と町寿司のあいだで
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肩書きと実績の話は、やがてOpiの鮮やかな線引きに至る。

Opi

「実績って確かに大事だし、例えばポートフォリオとかでちゃんと実績が載ってるとかっていうのは大事だったりはするんですけども、実際に実績が必要な時って、提案の時と決裁者がハンコ押す時の2箇所だけなんですよね。その他にはそんな実績必要ねえみたいな。というのが僕の今までのやってきた感覚ではあります。」

提案と決裁。この2箇所以外では、実績は本質的に不要だとOpiは断じる。20年以上クリエイティブの現場を走ってきた人間の、実感から出た言葉の重さがある。

Opi

「一応長くクリエイティブディレクターをやってた立場から、今回は優しい感じがいいですっていうのと、2年目の人が「今回優しい感じがいいと思うんですよね」っていうのは、同じ「優しい」でもやっぱり受け取る側は違うよねっていう現実問題はあるっちゃあると思います。」

「誰が言うか問題」と権威への訴え

修辞学において「権威への訴え(argument from authority)」とは、主張の内容ではなく発話者の権威によって説得力が変動する現象を指す。アリストテレスの『弁論術』におけるエトス(話者の信頼性)の概念に遡り、現代のコミュニケーション研究ではソース・クレディビリティ(情報源の信頼性)として、専門性と信頼性の二軸で分析される。

この対話の文脈では、Opiは実績が必要な局面を「提案と決裁の2箇所」に限定することで、権威の訴えが有効な場面と無効な場面を明確に切り分けている。日常の人間関係においては、肩書きより「最近何に興味があるか」という好奇心の方が、信頼構築に寄与するという実践知が導かれている。

タムカイ

「そう思ってない人は多いと思いますね。だからね、実績がある方がいいと思っているし、そこはこう、無意識的に、意識的に人を見るときに、こう肩書きだったりとかで見ているんだなと思うんですよね。」

Opi

「一年で年商10億円みたいな。」

タムカイ

「7桁とか。それも実績として見ているものもありますし、僕自身もそうだったんですけど、特に若い頃なんかは代表、会社名代表って書いてあるとかっこいいみたいな。でもこれ蓋開けてみると一人じゃないかみたいなやつもあるし。」

Opi

「若い頃はやっぱり社長になってみたいなっていうのはありましたよ。でも今、ネイキッドの時には役員になるし、今自分の会社を持ってますけど、別に会社の代表って辛いだけじゃないですか。調達とか、役員会とかもう面倒くさいことしかないじゃないですかと。できることなら役員とかから離れて自由に役員並みの権限を振るいたいみたいな。」

社長への憧れと現実の落差。そしてここで話題は唐突に転換する。Opiが「ラジオとお寿司って似てると思ってるんですよ」と切り出したのだ。

Opi

「お寿司僕大好きなんですけど、スシロー的なものも好きだし、ちょいお高いお寿司も好きなんですけど、ちょっとスシローとかは別として、町寿司とかも含めてなんですけど、そのお寿司ってブレがあるんですよ。で、その一つのお寿司屋さんでだいたいこのお寿司屋さん理解したなっていうのには2年かかるんですよね。要は春、夏、秋、冬で仕入れのお魚が違うわけじゃないですか。だから春のお寿司、夏のお寿司、冬のお寿司って食べないとまずわからないっていう季節ごとの違いがあるのと、あと去年と今年、同じ夏寿司でもみたいなところがあったりして。」

Opi

「すごくお気に入りのお寿司屋さんでも「今日も美味しかったね」っていう感じの時と「今日マジやばかったわ」「うまかったわ」っていうところに2パターンあるんですよ。「今日も美味しかったね」っていうのは言うてみればハズレ回なんですよ。でもそのハズレ回があるから大当たり回が楽しいみたいな。毎回毎回もう最高だったねっていう風にならないからお寿司屋さんだと僕すごい面白いなと思ってて。ラジオもそうだと思うんですね。毎回毎回抱腹絶倒とかめちゃめちゃ面白い話が盛りだくさんだっていうことがなかなかないんじゃないかなと。でもダラダラ話してて、毎週なんとなくダラダラ聞いてるとなんとなくコンテクストができて、クスってなったりするみたいな。」

「ハズレ回があるから大当たり回が楽しい」——この言葉は、そのままラジオに転写される。毎回完璧を目指す番組よりも、ブレのある番組の方が長く聴き続けられる。コンテクストが蓄積されてこそ、ふとした一言が「クス」と刺さる。

予約困難店と町寿司——二つの体験設計

サービスデザインの観点から見ると、Opiが語る2類型の寿司屋は「計画された体験」と「偶発的体験」の対比として読むことができる。予約困難店では、ミシュランの星や予約の取りにくさそのものが期待値を構成し、体験は入店前から始まっている。町寿司では、台風の日にふらっと入った偶然性こそが体験の核となる。前者がブランド価値に基づく選択であるのに対し、後者は関係性に基づく選択である。

この対話の文脈では、この二類型は直前の自己紹介の議論と鏡像関係にある。予約困難店は「肩書き」であり、町寿司は「ファーストトークの面白さ」。ラジオもまた、「完璧な構成」より「ブレの中のグルーヴ」を志向するという宣言がここに含まれている。

Opi

「予約をしないといけないお店っていうのは、予約をしてあるから、もうその日のテンションがどんな状況であろうが行かないといけないわけじゃないですか。で、実はそういうお店、8席とかが多いんですよ。2人4人とかが何組かっていうパターンが多いんですね。みんな知らない人なんですけど、出てくるのがすげー美味しかったりすると、同じ感想が口から出るわけじゃないですか。「これめちゃめちゃうまいね」っていう話で、隣に回ってきた時に「本当だ」とか言うと、受けてるわけじゃないですか。最初ね、うまいっすねみたいな感じで、たまに8席でグルーヴができる時がありますね。そのグルーヴ感みたいなのは、行ってみないとわからないので、ちょっとそれを楽しみにしている部分はあります。」

コミュニタスとグルーヴ

文化人類学者ヴィクター・ターナーは、共同体の中で通常の社会構造が一時的に溶解し、参加者が平等な一体感を経験する状態を「コミュニタス(communitas)」と呼んだ。寿司カウンターの8席で見知らぬ客同士が「これめちゃめちゃうまいね」を共有する瞬間は、まさにこのコミュニタスの小さな発現と捉えることができる。

この対話の文脈では、Opiが「行ってみないとわからない」と語る偶発性は、メタクリラジオが目指す「計画されない面白さ」と通底している。8席のカウンターのグルーヴは、このラジオの3人が収録のたびに生み出そうとしている(あるいは生まれるのを待っている)ものでもある。

そしてもう一つの寿司体験。町寿司。

Opi

「町寿司の時には、お寿司屋さんにはすごい申し訳ないんですけど、空いてる時が最高なんですよ。台風の日とかで、常連さんも来てないと。ふらっと入って、お客さん2人ぐらいしかいないみたいな。そんな時の町寿司の大将との会話がもう一番最高で。お寿司屋さん的にはね、お客さん入ってないから、たっぷり話せるっていう意味合いで。」

台風の日の町寿司。空いた店で大将と一対一で語り合う贅沢。肩書きも実績も関係ない、ただの「客とつくり手」としての対話。ここにOpiの理想の関係性が凝縮されている。

タムカイは、この2つの寿司体験を自己紹介の議論に見事に接続する。

タムカイ

「予約困難店みたいなやつって、それこそ自己紹介で言うところの「ミシュラン何個星」とか、予約が取れないも含めて過去の実績みたいなものじゃないですか。それがあるからちょっと行ってみたいが想起されるなっていう自分もいるので、さっきの少し盛りたいという若い人とか、これから有名になりたい人の気持ちも分かるし。ただ実際、予約困難店みたいなところに行ったとて、こっちのコンディション以外の面も含めて、「あんまあ」ってなった時には、多分そこにはもう一度行かない。そういう意味で言うと、ふらっと行った時に、自分の心をちょっとポロッと話してくれる板さんがいる町寿司っていうのは、さっきの「肩書きっていらんのよ」と繋がるなと思って。」

予約困難店の名声=肩書き。町寿司の大将の人柄=ファーストトークの面白さ。寿司屋のアナロジーは、肩書き論を見事に回収する。タムカイはこのラジオを、明らかに町寿司側に位置づけようとしている。

タムカイ

「僕らの今回のこの寿司店、ラジオは初見の人にはなんか急に常連同士でワイワイやってるんだが、面白いと思ってくれる人には刺さればいいなって、今になってようやく思うようになってきたんですよ。」

常連同士の「ワイワイ」に、初見の人がどう感じるか。このラジオは、万人受けを目指さない。刺さる人に刺さればいい。それは、町寿司の大将が台風の日の客にポロッと本音を話すのと、どこか似ている。

Chapter 04 息して生きてるだけでクリエイティブ——虚飾の反対側にあるもの
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寿司とラジオの話が収束に向かうなかで、Opiがふと本音をこぼす。

Opi

「これ職業病もあって、実は多分僕の方が大きいと思うんですけど、toCのものをやってたんじゃないですか。だから言うてやっぱ話題にならないとなっていう邪心みたいなのもあって。」

タムカイ

「邪心だけではないんですけどね。」

Opi

「その邪心と一方で年も重ねてきて、ワークショップとかやったり、時にちょっとお話する機会をいただいてお話をするなんていうのも増えてくると、なるべく皆さんにわかりやすくしようみたいなことがあるので、本当に自分の思ってたこと全開で喋る場っていうのが結構なくて。多少置いてけぼりにしてもいいやみたいなのあるんですよね。」

「邪心」と「わかりやすさ」。講演やワークショップで「皆さんにわかりやすく」を意識するうちに、本当に自分の思ってたことを全開で話す場がなくなっていった。メタクリラジオは、そのOpiにとっての「置いてけぼりにしてもいい場」として機能し始めている。

タムカイ

「だから今寿司屋の話してる時、寿司ラジオを自己紹介って繋いでる時には、いい意味で聞いてる人を頭からガンって抜けたなって僕も思っていて、多分そのグルーヴ感が入ったり入らなかったりしながら多分このメタクリラジオは続いていくんだろうなと思いますし。」

タムカイは、寿司と自己紹介を繋ぐ自分たちの会話を「聞いてる人の頭からガンって抜けた」と自覚しつつ、それでいいのだと受け入れている。グルーヴが入る回と入らない回がある。それが、さっきの「ハズレ回があるから大当たり回がある」の実践だ。

タムカイ

「やっぱりものづくりをCだったりクライアントさん向けにやってくるっていうのは仕事としては多かったんですけれど、ただそうなる以前の何かを作るっていうのに目覚めていったりとかする時って、完全にやっぱり自分が楽しいが先にあって、やってたなあっては思うんですよね。子供のうわあってやってたらね、親がいいねって言ってくれたのが、次のエネルギーになったりとかってもあるんですけれど、いいねって言ってもらうためにやってることっていうのはなかったなと思うので、そのクリエイティブってのを考えるときに、初期衝動みたいなものにはちゃんと迫っていきたいし、でもそれだけを目的にすると、だいたい変なところ行くので。」

初期衝動と内発的動機づけ

心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンの「自己決定理論(Self-Determination Theory)」は、人間の動機を「外発的動機(報酬・評価)」と「内発的動機(楽しさ・興味そのもの)」に区分した。タムカイが語る「いいねって言ってもらうためにやってることはなかった」という原体験は、純粋な内発的動機の記述そのものである。

この対話の文脈では、初期衝動は創造性の起点として尊重されつつも、それを「ちゃんと迫る」対象として観察する——つまりメタに捉える——という態度が示されている。初期衝動を神聖視するのでも否定するのでもなく、距離を保ちながら向き合うという姿勢は、このラジオの「メタクリエイティブ」という名前そのものの実践でもある。

タムカイ

「ちょっと良くなればいいなとか、こんなことやってみようっていう思いつきと、その実行、思いつくまででも全然いいと思うんですけれども、本当に極限そこだと思ってるので。僕よく言うのは、息して生きてるだけでクリエイティブですよ、あなたっていうこともある。」

タムカイ

「お前いてくれてよかったわっていうのは実は何かを生み出してることだし、じゃあそう言われたやつをちょっと意識して伸ばすというか、ちょっとした挨拶をするっていうのに変わってるっていうのはクリエイティブなことだし、それによってみんなの気持ちがハッとなるっていうのも、その結果それが想像されたからだと思う。」

クリエイティビティの民主化

創造性研究において、マーガレット・ボーデンは創造性を「P-creativity(個人にとっての新しさ)」と「H-creativity(歴史的に新しいもの)」に区分した。タムカイの定義は明確にP-creativityの側に立つ。一方、ミハイ・チクセントミハイは創造性を「領域(Domain)、分野(Field)、個人(Person)」の三者の相互作用として定義し、社会的承認を含めた体系を構築した。

この対話の文脈では、タムカイの「息して生きてるだけでクリエイティブ」という宣言は、チクセントミハイ的な社会的承認モデルを意図的に退け、ボーデンのP-creativityをさらに拡張して、意図的な行為以前の「存在」にまで創造性の領域を広げる試みとして読める。「ちょっとした挨拶」をクリエイティブと呼ぶことは、創造性を専門家の独占物から日常の営みへと解放する行為であり、メタクリラジオの根本思想を一文で集約している。

「息して生きてるだけでクリエイティブ」——この定義は、クリエイティビティを特殊な才能から日常の営みへと引き下ろす。存在すること自体が何かを「生み出して」いる。そこに意識が加わって「ちょっとした挨拶」になれば、もうクリエイティブの実践なのだと。

Opi

「多分多くの人がクリエイターとかクリエイティブとかって、特殊な訓練——訓練ですらなくて、才能がないとできないものだと思ってると思うんですよね。」

タムカイ

「それはね、全然僕は違うと思うんですよね。もちろん、その道に早めに入ったことによって決まる覚悟みたいなのは、僕自身もあったのもありますし。これを言うと、僕もその一派だって言われりゃそうかもしれないんですけれど、かっこよく見せがち、かっこよく話しがちなんですけれど、それによって「ああ、違うんだね」ってなるんですけど。僕、大人になるにつれて結構気づいたというか、大学ぐらいから思ってたんですけど、そうでもしないとっていうか、虚勢を張らないとやられそうになるからやってるだけっていう。実は本当はめちゃめちゃ臆病で、怖がりだからああいうのもあるなとは思っていて。」

「虚勢を張らないとやられそうになるからやってるだけ」——かっこよく見せるのは強さではなく、臆病さの裏返しだという告白。クリエイターは才能で成り立っているのではなく、恐怖と虚勢のサイクルの中で生き延びている。

Opi

「多くの人のクリエイター像って昼ぐらいに起きてスタバに行って、MacBookを開いて、方々と打ち合わせをして、夕方クライアントさんと打ち合わせ、いい作品が仕上がりそうな予感つって、夜飯食いに行って。」

タムカイ

「縦長のやつで飲んでたりしてね。」

Opi

「でも僕らの本質は、代理店の明け方の会議室でオロナミンCが並んでるところで、あと10時間後でプレゼンでまだ全然決まってないんだけどどうすんだよって、7時ぐらいになんとか仕上げてバンフーっていうすぐに印刷を出してくれるところにA0版とかA1版のポスター出しに行って、そのままそこで40分間ぐらい半分寝ながら待って、そこでポスター出来上がって、そのままクライアント先に持って行ってなんとか終わったっていうのがクリエイティブやぞっていうと夢も希望もないっすねみたいな。」

バンフー(VANFU)

東京都内を中心に展開する印刷・コピーサービスの店舗チェーン。24時間営業の店舗もあり、広告代理店やデザイン事務所のクリエイターにとって、締め切り間際の駆け込み寺として知られた。A0やA1といった大判ポスターの即日出力に対応しており、プレゼン前夜に「バンフーに走る」は広告業界の暗黙の通過儀礼でもあった。

この対話の文脈では、バンフーという固有名詞はスタバのMacBookと対置されることで、クリエイティブワークの「華やかな表舞台」と「泥臭い裏舞台」の対比を象徴している。オロナミンCの並ぶ明け方の会議室という具体的すぎるディテールに、2人が共有するクリエイターの身体的記憶が凝縮されている。

タムカイ

「ふっと頭をよぎるこれって意味あるのかなとも思いつつも、やっぱこれ自分好きなんだわなっていうのを、家族が寝た夜にダイニングテーブルでカタカタ撃ってたりとかすることもあるし。ブログとかやってた時も本当ボトルメールみたいなのを大海原に投げてるだけみたいな。こんなの誰が読んでるんだって、幸い友達とかが読んでくれて。お前のあの文章良かったよって2、3人から言われるだけを喜びになんかやってる時もありますし。」

ボトルメールとしての自己表現

ボトルメール(Message in a bottle)は、受け手が不確定なまま発信される通信の比喩である。文学理論においてポール・ツェランの詩学がこの概念を重視し、詩は「ボトルに入れた手紙」として投擲され、いつか誰かの海岸に漂着する、と述べた。受け手を特定せずに発信する行為は、商業的なコミュニケーションの対極に位置する。

この対話の文脈では、タムカイが深夜にブログを書く行為は、承認を前提としない表現の原型を示している。2、3人の友人からの「良かったよ」は、ボトルが偶然漂着した先からの返信であり、その偶然性こそが創造行為の動機を純粋に保つ装置として機能している。初期衝動を「いいねのためではなかった」と語ったタムカイが、大人になってもボトルメールを投げ続けていること——そこに、初期衝動が枯れていない証拠がある。

深夜のダイニングテーブル、ボトルメールとしてのブログ、2、3人の友人からの「良かったよ」。これが、タムカイにとってのクリエイティブの原風景だ。スタバのMacBookの対極にあるが、「やっぱこれ自分好きなんだわな」という確信だけがある。

Chapter 05 動物園の檻の外から——このラジオが向かう場所
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Opi

「基本的にはこのラジオを通して、創造性って何だろうってことは、多分まだ確固たる答えがないんで。なんか色々話しながら考えていくとは思うんですけど、多分これプロのクリエイター志望の人が聞いてくださいという番組には一切ならないと思うんですよね。むしろ自分クリエイティブからちょっと遠いんじゃないかっていう人が聞いた方が面白いかもしれないなあ。」

プロ向けではない。「自分はクリエイティブから遠い」と思っている人にこそ届けたい。これは先ほどタムカイが語った「息して生きてるだけでクリエイティブ」と完全に呼応する宣言だ。クリエイティビティを特権的なものから解放するという番組の志向が、ここで明確に言語化される。

Opi

「今日ね、僕、強く言いたいのは、この大里Pの台本で、転がる時と転がらない時があって、転がらない時どうすんだよ問題があるから、ちょっとそこはね、今日の収録終わったら大里P詰めないといけないんですよ。」

タムカイ

「初回はね、収録してみないとどうなるかわからないから1回ちょっとだけ守りながらちょっとだけ外してるんですけど、わかってきましたね。」

台本が「転がる」時と「転がらない」時がある。転がらない時にどうするか。タムカイは「ちょっとだけ守りながらちょっとだけ外す」という、初回ならではの慎重さを見せる。しかし「わかってきた」という一言に、次回以降はもっと外していくという予告が込められている。

Opi

「始まる前にちょっと料理の話してたんですよ僕ら。限りなく自由業に近いから料理とかやる時に料理の工程がバチって決まるとダンスみたいで気持ちいいよねみたいな話してて。大里Pが入ってくる前になんかそういう話してた方がいいんじゃないかなとか。」

料理の工程がバチっと決まるとダンスみたい——このさりげない一言に、クリエイティブワークの身体感覚が宿っている。段取りと即興の間で踊る感覚。それは、台本があるのに脱線するこのラジオの構造そのものでもある。

タムカイ

「探偵ナイトスクープのたまに小ネタ集の日あるじゃないですか。だから大里Pの真面目な質問は小ネタ集の回で全部一言ずつ終わらせるっていう。」

Opi

「処理していくみたいなね。」

タムカイ

「貯めておいてもらわないと小ネタ集できないので。やるんですけど、普段はもう探偵がそのまま街に出て行って、この依頼どうすんのっていうのがどうにかなっていくっていうのを楽しみたいなって。」

探偵ナイトスクープ的番組設計

『探偵ナイトスクープ』は1988年から放送されている朝日放送制作のバラエティ番組。視聴者からの依頼を「探偵」が調査する形式で、事前の結末が読めない「ドキュメントバラエティ」の先駆けとなった。台本はあっても展開は未知数という構造は、即興演劇のインプロヴィゼーションとも共通する。

この対話の文脈では、タムカイが「探偵がそのまま街に出て行って、この依頼どうすんのっていうのがどうにかなっていくのを楽しみたい」と語ることで、メタクリラジオの番組設計思想が宣言されている。大里Pの台本を「小ネタ集」に格下げし、本編は計画不能な対話に委ねる——計画された構造の中に偶発性を許容するスタイルが、ここで確立される。

Opi

「結局のところ3人とも、実はある意味プロなわけじゃないですか。だから30分なり40分なり50分のラジオ番組をちゃんと作れって言われたら、多分できると思うんですよ。最初の掴みはこれで、この辺でこんなの入れてっていう。でも結構早い段階から適当でいこうみたいな話はしていたので、今後もその時にお互いが話していることを受けて、思いついたことをしゃべるっていうのは、そんなに変わらないような気がする。今後聞いてくださる方にはぜひ、飛んだねっていうところがこの番組の面白いところなんで、ぜひそこを楽しみにしていきたいなと思います。」

「ちゃんと作れるけれど、適当でいく」——これは怠慢ではなく、プロとしての選択だ。構成台本を作る能力を持ちながら、あえてそれを棚上げして「思いついたことをしゃべる」形式を採用する。「飛んだね」が、この番組の最高の褒め言葉になる。

タムカイ

「時間的にも、結局そのものを作る時に、現場目線にどっぷり行くこともあれば、すごい引いた目線になることもあり、今みたいにこういう時には意外に緊張するんだなっていうまた学びを得ることがまた人にかける言葉だったり、自分の何かに繋がっていったりもしますし、多分それってメタな視点ってよく言うやつだと思うんですけれども、僕らが何かを作っていこうとしていく中で、僕らもメタにそのことを話すので、それをまたさらに、なるほど、こういう人たちにもこういうことがあるんだなとか思ってもらえると、このメタクリラジオとしては、一番まずはいい形なのかな。」

メタ認知とクリエイティビティ

「メタ(meta-)」はギリシャ語で「〜を超えた」「〜についての」を意味する接頭辞。メタ認知(metacognition)とは、自分の認知プロセスを認知する——つまり「考えていることについて考える」能力を指す。教育心理学者ジョン・フラベルが1979年に提唱した概念で、学習の効率向上に不可欠とされる。

この対話の文脈では、「メタクリエイティブ」という番組名自体がメタ認知の実践宣言である。クリエイティビティを発揮するのではなく、クリエイティビティを発揮する過程を観察し、語り直す。タムカイの「現場目線にどっぷり行くこともあれば、すごい引いた目線になることもある」という言葉は、まさに認知と認知についての認知を往復する動きそのものだ。

タムカイ

「みんな緊張感を持ってる。僕らの3人の緊張感を動物園の檻の外から見るみたいに聞いてもらうのが一番いいなっていうのが僕の今のちょっと思ってるところです。」

「動物園の檻の外から見る」——戦略性を持った3人の動物が、緊張しながら何かを始めようとしている。リスナーはその様子を、檻の外から安全に眺める。覗き見的な楽しさと、不意に自分にも当てはまる瞬間が訪れる期待。これがメタクリラジオの「鑑賞法」なのだ。

Opi

「今日の学びは実は、今日の収録の前に2回Zoomでやってるんですよね。その時にはもうバンバン話が出てるんですよ。だからやっぱり一応人の前で話に慣れてるとはいえ、いざ収録だって言われると僕もタムカイさんも「あ、上がるんだ」「ガチャガチャになるんだ」みたいな、そんなのはあったりはしますよね。」

Zoomでは自由に語れたのに、「収録」と名がつくだけで上がる。これは、自己紹介で大企業の名前を出すかどうかで揺れるのと同じ構造だ。「名付けられた場」では人は身構える。だが、その身構えを自覚し、メタに語れること——それ自体がこの番組の最大の資産なのかもしれない。

タムカイ

「このメタクリラジオになるまでだったりとか、多分皆さん聞いてくださると、始まり終わりにジングルがあったり、Spotifyの中でカバー画像があったりするんですけれど、あそこをやってきた大人の本気と遊びが混ざりながら作っていったので、あそこでどんなことを考えていたのかとかを話しながら、また話がどんどん飛んでいくんだなっていう第2回できればな、なんて思いましたね。」

Opi

「第2回は、その時点での、聞いてくれた人との共通点って、その1回目話したことと、外に出てる情報しかないわけじゃないですか。それをネタにする第2回みたいな感じでいいんじゃないですかね。」

番組制作のメタクリエイティビティ

ラジオ番組のジングルやカバーアートの制作は、それ自体がクリエイティブワークである。メタクリラジオが自らの制作過程を次回の話題にしようとする態度は、番組のコンテンツ(何を話すか)とコンテクスト(どう話すか)を同一平面上で扱うメタ的な構造を生み出す。映画が自らの撮影過程を題材にする「メタフィクション」と同様に、ラジオが自らの制作を語ることで、リスナーは「聴く」という行為の裏側に「つくる」という行為があることを意識させられる。

この対話の文脈では、次回予告がそのままこの番組の宣言になっている——私たちは何かを語るだけでなく、語ること自体のプロセスも語る番組である、と。

Epilogue おわりに

第1回のメタクリラジオは、結局のところ、自己紹介をしようとして自己紹介ができなかった回だった。だが、その「できなさ」の中にこそ、3人が本当に伝えたかったものが溢れている。

タムカイは「富士通さん」と呼ばれることの居心地の悪さから、所属をすべて隠す実験をし、「何を語れるか」だけで勝負する原体験を得た。Opiは「元NAKED」を「卒業した子供の名前」として引き受けつつ、八丈島のおじさんという新しい名乗りを手にした。大里Pは「肩書きどう盛ればいいですか」と率直に聞き、「盛っていいことは1ミリもない」という先輩たちの答えを受け取った。

寿司屋のアナロジーが教えてくれたのは、予約困難店の名声よりも、台風の日の町寿司の大将との一対一の対話にこそ、人を惹きつけ続ける力があるということだった。肩書きは最初の一瞬しか効かない。持続するのは、目の前の人に「自分の心をポロッと話す」態度の方だ。

そして「息をしているだけでクリエイティブ」というタムカイの定義は、このラジオの射程を宣言している。プロのクリエイター向けではなく、「自分はクリエイティブから遠い」と思っている人にこそ届けたい。その宣言が、バンフーの明け方の会議室やダイニングテーブルでの深夜のブログ執筆という泥臭い現場から発されていることに、説得力がある。

「そんなわけで」——何の脈絡もなく始まったこのラジオは、脈絡のなさそのものを価値にしようとしている。8席の寿司カウンターでグルーヴが生まれるように、ここでも何かが始まろうとしている。動物園の檻の外から、その始まりを見届けてほしい。

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