ザッソウラジオは、ソニックガーデンの代表・倉貫義人と「がくちょ」こと仲山進也が、二人の友人をゲストに招き、「雑な相談」のザッソウを重ねるポッドキャストである。2025年5月のゲストは、ラクガキライフコーチ・UIUXデザイナーのタムカイ。富士通という日本を代表する大企業に身を置きながら、個人活動としてラクガキ講座を展開し、全社変革プロジェクト「フジトラ」においてはパーパスカービングを10万人に届けた人物だ。
倉貫とタムカイは、この回が初対面である。しかし収録が始まると、二人の間には奇妙なほどの共振が生まれた。大企業に長くいたこと、社外に出て仲間を見つけたこと、「裸一貫」ではなく会社という器を活用したこと——背景の符合が、初対面の硬さを溶かしていく。その中心で、仲山が「泰然自若」と形容されるほどの静けさで場を見守っている。
この回は、タムカイの「半生」を聞く会である。だが単なる自己紹介ではない。話が進むにつれ、「戦略性と着想」というストレングスファインダーの資質が、彼の人生のあらゆる選択にどう作用してきたかが浮かび上がる。それは意図された語りではなく、三人のザッソウの中から自然と結晶化していった構造だった。
本ドキュメントは、ザッソウラジオにタムカイがゲスト出演した3回シリーズの第1回である。第2回「『考えるとは何か』を考える」、第3回「おしゃべりに花が咲く」と併せてお読みいただきたい。
タムカイと仲山進也の出会いは、2018年の軽井沢ラーニングフェスティバル(ラーフェス)に遡る。二人はそれぞれ「バディ」として招かれていた。直接の面識はなかったが、互いの存在はすでに認識していた。
仲山さん
「あのフェイスブックの共通の友達の向こう側に、なんかこの人よく見かけんなみたいな。お互いにと思ってて」
SNS時代の出会いには、こうした「認知の非対称性」がつきまとう。相手の投稿を見ている、共通の友人がいる、しかし直接の言葉を交わしたことはない——そのもどかしい距離感を、仲山は軽やかに語る。行きのバスでも「声はかけずかけられず」だった二人が、ようやく挨拶に至ったのは、テント周辺の人気のない場所ですれ違った「しょうがない」瞬間だった。
タムカイが語る第一印象は、仲山の実像とのギャップを物語って面白い。
タムカイ
「僕は勝手にビジュアルだけ学長のことを見ていたので、もう髭のいけおじで、組織や会社のトラとかって言ってるから、なんかバリバリなんじゃないかなと思って、ちょっとぐって一歩引いてるっていうのがあって」
「髭のいけおじ」「バリバリ」という先入観が、ラーフェスのテント泊で一気に崩れる。バディとして招かれた参加者の多くは「ちゃんとした人」で、近隣にホテルを取る。しかしこの二人は、11月の軽井沢の地面に三角テントを張り、寝袋で夜を過ごした。
タムカイ
「死線をくぐる人たちがそんないなかったんですよね。バディとして呼ばれてる人たちって、ちゃんとしてる人なんで、みんな近隣にホテルを取ったりとか。僕らあの秋、まあなんで、気温で言うと、冬の地面に立ってる三角テントの中で寝袋で寝るっていう。11月」
「ちゃんとしない」選択が、結果的に最も強い絆を生んだ。寒さに耐えながらビールを飲み、テントで語り合う時間が、チームビルディングそのものになった。仲山はこの記憶を「ずっとビール飲んでたんですよね」と一言で片付ける。
軽井沢ラーニングフェスティバル(ラーフェス)
軽井沢を舞台に開催される、越境的な学びのフェスティバル。企業人、教育者、クリエイターなど多様なバックグラウンドを持つ「バディ」が招かれ、既存の肩書きを離れた対話と体験が行われる。初回の2018年は11月開催で「寒すぎた」ため、その後10月に変更されたという逸話が残る。
この対話の文脈では、ラーフェスは「出会いの装置」として機能している。タムカイと仲山はそれぞれの文脈で活動する人物だったが、このフェスティバルの「境界のない空間」が、SNS上の認知を実際の関係に転換した。テント泊という偶然の選択が、通常のカンファレンスでは生まれ得ない親密さを生んだ点は注目に値する。
この出会いを起点に、二人の関係は広がっていく。大阪での共同登壇、タムカイが作ったワークショップツールを使ったイベント、仲山が主催した「何もしない合宿」への参加。タムカイがサウナにハマった時期には「何人かを引き連れて銭湯行って」布教活動を展開した。しかしコロナ禍で、その距離は再び開く。「オンラインではちょっと話したりはするものの」——そのすれ違いを経ての、今回のザッソウラジオである。
倉貫がタムカイに発した最初の観察は、この回全体を貫く問いの種になる。
倉貫さん
「富士通感があんましないって言ったらちょっと。そのイメージなんですけど、なんか富士通のメインストリームのお仕事されている雰囲気は、あの、少なくとも今日の雰囲気からも感じられないですけど」
「富士通感がしない」——この一言が、タムカイの半生を語るトリガーとなる。
ザッソウラジオ
ソニックガーデンの倉貫義人と仲山進也が、毎月さまざまなゲストを招いて「ゆるーくおしゃべり」するポッドキャスト。「ザッソウ」とは「雑談と相談」「雑な相談」の造語。毎週水曜日の午前中に更新され、Spotify、Apple Podcasts、Google Podcastsで配信されている。
この対話の文脈では、ザッソウラジオという場の設計思想そのものが重要だ。「雑な相談」——つまり目的も結論も定めない対話の空間が、初対面の倉貫とタムカイに驚くほどの親密さを生んだ。仲山が「泰然自若」としているのは、この場が「進行役が頑張らなくても対話が進む」ように設計されているからでもある。
2003年、タムカイは富士通に入社する。だがその入口は、志望とは程遠いものだった。
タムカイ
「大学卒業する時にやりたいことが全然なくて。やりたいことがないんで、大学院に行きたいですって、ゼミの先生に言ったら、まあそれは嬉しいと。大学院生が増えるからだけど、お前ちょっと勉強も兼ねて、どっか一個企業の試験を受けてみろ」
デザイナー候補として集められた選考——アイデアソンと面接と実技——を、「やるとなったら本気でやるタイプ」のタムカイは突破してしまう。カーデザインでも白物家電でもなく、携帯電話がコミュニケーションを変えつつあった時代の富士通に、「コミュニケーションっていうテーマでなんかできるかも」という漠然とした予感だけで飛び込んだ。
「しゃあない社会人始めるか」——この関西弁のつぶやきに、タムカイのキャリアの原点がある。そもそも富士通で何者かになろうとしたことが一度もない。その「力の抜け方」が、後に彼を独自のポジションへと導くことになる。
計画的偶発性理論(Planned Happenstance)
スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツが提唱したキャリア理論。キャリアの80%は予期しない偶然の出来事によって形成されるとし、「好奇心」「持続性」「柔軟性」「楽観性」「冒険心」の5つの行動特性が偶然を活かす鍵だとする。
この対話の文脈では、タムカイの富士通入社は計画的偶発性の典型例だ。「やりたいことがない」という状態は、一般的にはキャリアの弱点と見なされるが、クランボルツの理論ではむしろ可能性の条件である。「やるとなったら本気でやる」タイプのタムカイが、偶然の機会に対して全力で応じたことが、結果的に20年以上に及ぶ独自のキャリアを開いた。「しゃあない」は、この理論が語る「柔軟性」と「楽観性」の関西弁的表現とも言える。
しかし、入社直後の現実は厳しかった。
タムカイ
「仕事が全然できない人間っていうのを一年目にすごい自分で痛感して」
チーム内でデザイン案を作るたびに、先輩の案が採用される。社内コンペで案が通らない。「次の社内コンペでファンが通らなかったらデザイナーやめよう」と決意したタムカイが取った行動は、誰にも教わったものではなかった。
タムカイ
「毎回抑えの案になる先輩のフォトショップのファイルを、社内の共有サーバーにあるので、3200%とかまで32倍ぐらいまでやって、もうピクセル一個一個全部、グラデーションはこの割合でとか、線ここに一本線が入ってるとかっこよく見えるとかっていうのを、1回完コピして、で、自分の要素を載せたら、パンって自分の中で一個跳ねて」
Photoshopのファイルを3200%まで拡大し、ピクセル単位でグラデーションの配分を読み取り、「完コピ」する。この行為は、単なる模倣ではない。先輩のデザインに内在する「かっこよさ」の構造——線の配置、グラデーションの比率、余白の取り方——を、最小単位まで分解して理解しようとする試みである。
完コピと守破離
日本の伝統芸能における「守破離」は、師の型を忠実に守る(守)、型を破って自分の工夫を加える(破)、型から離れて独自の境地に至る(離)という段階を示す。タムカイの完コピは、この「守」のフェーズに相当するが、興味深いのは師弟関係の中ではなく、共有サーバー上のファイルという「非人称的な媒体」を通じて行われた点である。
この対話の文脈では、タムカイの完コピは「模倣」ではなく「解析」に近い。3200%拡大という行為は、デザインを「作品」としてではなく「構造」として捉え直すことを意味する。そしてその構造を理解した上で「自分の要素を載せたら、パンって跳ねた」——この「跳躍」の瞬間は、守から破への転換点であると同時に、タムカイが後に展開する「ラクガキ講座」の思想——正解のない表現の中に自分だけの線を見つける——の原体験でもある。
「パンって跳ねた」という身体感覚的な表現が印象的だ。理論や戦略ではなく、手を動かし、ピクセルを数え、構造を体に入れた先に訪れた「跳躍」。タムカイのデザイナーとしてのキャリアは、この瞬間から動き始める。「先に抑える案を作れるようになって」、5年間で会社にアジャストしていった。
5年間で「楽しくなってきた」矢先に、大企業の現実がタムカイを襲う。ジョブローテーション——大企業特有の人事異動だ。子供が生まれたばかりだったこともあり、タムカイは当時の部長に「嫌です」と直言した。返答は簡潔だった。
タムカイ
「無理って言われて。もう決まったから無理って言われて。仲いい上司だったのはあるんですけれど、いやもう別にお前いなくても会社って回るしって言われた時に、悲しいというよりは確かにって思ったんですよね。風邪を引いても、転職しても会社って回るから、まあ確かにって」
「お前いなくても会社って回るし」——この言葉を、タムカイは悲劇として語らない。「悲しいというよりは確かに」という受け止め方に、彼の本質的な合理性が表れている。しかし、この「確かに」は同時に、深い問いを開く。
タムカイ
「それと同時にあれ俺、この5年間、富士通さんと呼ばれながら仕事をしてたし。それがないと何もないんじゃないかっていう強烈な焦りを感じて」
「富士通さん」——個人名ではなく社名で呼ばれることの意味。5年間の実績が、すべて「富士通」というブランドに帰属しているのではないかという疑念。この「強烈な焦り」が、タムカイを社外へと押し出す。
組織アイデンティティの喪失と創発
組織心理学において、「組織アイデンティティ」とは個人が組織との同一化によって形成する自己概念を指す(Albert & Whetten, 1985)。大企業における長期勤務は、この同一化を強化する傾向がある——「自分は○○社の人間である」という認識が、個人のアイデンティティの核となるのだ。
この対話の文脈では、タムカイの「富士通さんと呼ばれながら仕事をしてた」という告白は、この同一化の自覚と、同時にその限界への気づきを示している。注目すべきは、この喪失が破壊ではなく「創発」のトリガーとなったことだ。「個人としても何かをやれないといけない」という焦りが、ブログ開始→ラクガキ講座→グラレコという一連の個人活動へとつながる。組織アイデンティティの揺らぎは、時に新しい自己の発見を加速させる。
29歳でブログを始めたタムカイは、ブロガーコミュニティに入っていく。大企業のデザイナーという出自は、そこでは新鮮に映った。「いや、それすごい面白いねとか言われることもあり」——しかし2014年頃、「俺、でもブロガーになりたかったわけじゃないしな」という壁にぶつかる。最速で記事を書く人、写真がすごい人、知識が豊富な人……その中で「何だったら俺勝てるかな」と考えたとき、手元で書き続けていたノートの存在に気づく。
しかし、ラクガキ講座の誕生にはもう一つのきっかけがあった。ブロガー仲間からの何気ない一言——「いつも絵描いてるから絵を教えてよ」。その背景には、小学校一年生の時に「お前下手だな」と担任に言われて以来、絵を描くことが楽しくなくなった、という人生の物語があった。
タムカイは美大出身であり、受験デッサンの厳しい訓練を経験している。「絵をうまくなるってそういうこと」——その前提が、友人の告白によって揺さぶられる。「じゃあ絵を描くことがすごく楽しいラクガキの講座だったら僕できますよ」。
コワーキングスペースを時間借りし、Facebookでイベントを立て、10人が集まった第一回。「めっちゃ僕も楽しかったし、相手もすっごい良かったって言ってくれた」——この原体験が、ラクガキコーチとしてのタムカイの出発点となる。
ラクガキ講座
タムカイが2014年頃から個人活動として展開している対話型ワークショップ。「ラクガキ」をカタカナの「ラクガキ」と表記するのは、「落ちるに書く」のラクガキではなく「楽しく描くのラクガキ」であるという哲学が込められている。正式名称は「ハッピーラクガキライフ」。
この対話の文脈では、ラクガキ講座の誕生が示すのは「正解からの解放」というテーマだ。デッサンの訓練を受けた美大出身者が、「小一の時にお前下手だなって言われた」人のために講座を設計する——この転換には、「正解のある絵」から「正解のない表現」への視点の移動がある。このテーマは第2回で、「正解と解釈」をめぐる議論としてさらに深化する。
ブロガーコミュニティとパーソナルメディアの時代
2010年代前半、日本ではWordPressやはてなブログを軸としたブロガーコミュニティが活発に活動していた。ガジェットレビュー、ライフハック、イベントレポートなどのジャンルが確立し、個人ブロガーが企業の発表会に招待されることも一般化した時代である。
この対話の文脈では、タムカイがブロガーコミュニティの中で「何だったら俺勝てるかな」と自問したエピソードが重要だ。最速レビュー、美しい写真、深い知識——それぞれの強みがすでに「先住者」によって占められていた中で、手書きノートという「誰もやっていないこと」に気づいた。この発見は意図された差別化ではなく、「いつもやっていたことが、実は差異だった」という逆転の認識であり、後のグラフィックレコーディングへの展開を開く鍵となった。
ラクガキ講座の宣伝のために書いていたブログに、手書きのノートを載せ始める。すると「最近それってグラレコって言うらしいね」と教えられる。グラフィックレコーディングという言葉は後から来た。タムカイにとっては「いつものノート」が、世の中では新しい概念として認知されつつあったのだ。
転機は、元Googleの方からのカンファレンス依頼だった。
タムカイ
「どんな感じなのっつったら登壇者が50人いて、2ステ同時で1日やりますって言われて、一人じゃ無理じゃねえかってなって」
ここで多くの人は、「社外の仲間を集める」か「起業して人を雇う」という方向に思考が向かう。しかしタムカイは違った。富士通グループ内にいたグラフィックレコーディングの実践者たちを束ね、チームとして対応したのだ。
倉貫はこの選択に、他の誰よりも強く反応した。
倉貫さん
「個人の活動に会社を巻き込むって発想って、あんましみんな持たないのに。会社の活動と個人の活動は別物。でも、個人の活動に会社を巻き込むって発想って、あんましみんな持たないのになあと思って」
「別物」として分断されがちな会社と個人を、タムカイは自然につないだ。しかもそれは純粋な善意ではなく、計算された判断でもあった。
タムカイ
「明らかに戦略的で、これ全部富士通で固まってる方がこのイベントで受けるなっていうのはありましたね。全員そうなんですよっていう。なんで意外にこう打算的っていうと言い方なんですけれど、何をやるとどんな風になるかっていうのを考えるのは、なんか大きい意味でのデザインとしては好きなので」
「打算的」という自嘲を、倉貫はすかさず言い換える——「いい表現すると戦略性」。そしてこの「戦略性」は、タムカイの中で一貫した行動原理であることが、次第に明らかになっていく。
イントラプレナーシップ(社内起業家精神)
大企業内部にいながら、起業家的な行動を取る人物を「イントラプレナー」(intrapreneur)と呼ぶ。ギフォード・ピンチョーが1985年に提唱したこの概念は、イノベーションの源泉を企業内部に求めるものだ。
この対話の文脈では、タムカイの行動はイントラプレナーシップの中でもユニークな変形を示している。通常のイントラプレナーが「会社の資源を使って新規事業を立ち上げる」のに対し、タムカイは「個人の活動に会社の資源を引き込む」という逆方向の接続を行っている。これは倉貫が指摘するように、「みんなが持たない発想」である。会社と個人が対立項ではなく、互いのケイパビリティを増幅し合う関係——その可能性を体現しているのがタムカイの動き方だ。
グラレココミュニティが自然発生的に生まれたことで、タムカイは「組織」の問題に直面する。「会社は上から言われてちゃんとやる構造」——その外側で、どんな組織を作ればよいのか。
ちょうどその頃、日本に「ティール」という言葉だけが到来していた。フレデリック・ラルーの『ティール組織』が話題になり始めた時期だ。タムカイは「わからんけど、こういう感じじゃねえかっつって」手探りで組織を作る。
ティール組織
フレデリック・ラルーが『Reinventing Organizations』(2014年、邦訳2018年)で提唱した組織モデル。自主経営(セルフマネジメント)、全体性(ホールネス)、存在目的(エボリューショナリー・パーパス)の三つを特徴とし、従来の階層型組織に代わる進化的な組織形態とされる。
この対話の文脈では、タムカイが「ティールという言葉だけが来た頃」に手探りで組織を作ったという点が興味深い。理論の完全な理解なしに、「わからんけど、こういう感じじゃねえか」という直感で実践を始めたこと——これは「守破離」の「守」を経由しない、いわば「着想から直接組織を作る」アプローチだ。しかし結果的に、メンバーに自律を促し、承認構造を手放すという実践は、ティール組織の核心に近い。
タムカイ
「最初、メンバーというか友達なのにタムカイさん、これやっていいですかねって承認を求められたんで、それは俺は決めるもんじゃないと。あなたがやりたいと思って、世の中のために良いのであればやればいいと思って」
「自律性をどうやったら高められるのか」——この問いの中に、パーパスカービングの萌芽がある。
仲山はこの文脈で、タムカイとの共通点と相違点を示唆する。仲山は楽天が成長する途中に「謎の位置」を確立した。組織の拡大とともに、居場所が自然と固定化された。しかしタムカイの場合は違う。
タムカイ
「僕、大きい会社に入って、エアポケットを見つけて1回入ってて、で、そこから急に出てきて。バッて知られると、なんかそのエアポケットが閉じてて、やばい、戻る場所がねえってなって」
「エアポケット」——組織の隙間。そこに一度は身を潜めていたタムカイが、グラレコやパーパスカービングで可視化されたことで、隠れ場所が消えた。大企業の中で自由に動くためには、「見えないこと」が武器になる時期がある。しかし成果が上がれば上がるほど、その透明性は失われる。これは、大企業内で独自のポジションを築こうとする人間が必ず直面するパラドックスだ。
エアポケットと組織の余白
航空用語で「エアポケット」は、気流の急変により機体が急降下する領域を指す。タムカイがこの言葉を「組織の隙間」として転用している点が面白い。大企業には、公式な組織図や業務分掌では捉えきれない「余白」が存在する——明確な管轄が定まっていない領域、誰の仕事でもない空間だ。
この対話の文脈では、エアポケットは「自由の条件」であると同時に「不安定の源泉」でもある。タムカイはその隙間に入り込むことで自由を獲得したが、成果が可視化された瞬間に隙間は閉じてしまった。仲山が楽天で確立した「謎の位置」との対比が鮮明で——仲山の場合は組織の成長とともに居場所が「既成事実」となったが、タムカイの場合はエアポケットを移動し続ける宿命を負っている。
2020年、富士通の全社変革プロジェクト「フジトラ」が始動する。しかしタムカイの反応は、最初は冷めたものだった。
タムカイ
「大企業に何年もいると変革するぞ、しない、変革するぞ、なんかわかんないみたいなのが続く。変革するする詐欺と僕は呼んでるんですけど」
「変革するする詐欺」——大企業に長く身を置いた人間にしか出てこない言葉だ。しかしタムカイは、次の瞬間に自分を省みる。
タムカイ
「俺まだ本気出してない。自分でやってみてできてない。俺やってないのに文句だけ言ってのもダセえなと思って」
変革疲れ(Change Fatigue)
組織変革研究において「変革疲れ」とは、度重なる変革の試みや失敗により、組織メンバーが変革そのものに対して無気力・無関心になる現象を指す。特に大企業では、トップダウンの変革宣言が繰り返されるたびに、現場の冷笑主義が強化されるという悪循環が指摘されている。
この対話の文脈では、タムカイの「変革するする詐欺」という造語が、この現象を見事に言い当てている。しかし注目すべきは、タムカイ自身がその冷笑主義に留まらなかったことだ。「俺やってないのに文句だけ言ってのもダセえな」という自省は、冷笑主義からの離脱を可能にする条件——「自分自身が変革の当事者になること」——を示唆している。外部から変革を評価するのではなく、内部から参与する覚悟が、変革疲れを超える鍵となる。
フジトラのプロジェクトに飛び込んだタムカイは、個人のパーパスを言語化する対話のプログラムを設計する。個人活動で培ってきたラクガキ講座やコーチングの知見が、ここで初めて「全社」のスケールに接続された。
タムカイ
「自分のものをしっかり考えて、対話なので、相手のものも一緒に考えて、お互いにいいねって言ったところに、ここに会社のやつがすっと入ってくると、これだけバカにすることっていうのはないよねっていうようなプロジェクト」
パーパスカービングの思想は明快だ。上から降ろされた言葉ではなく、自分の内側から掘り出すもの。社長への直談判を経て、プログラムは全社展開される。
タムカイ
「パーパスという言葉がまだ日本の中にあんまないので、パーパスってなんや、社長がパンパースって言い出したぞみたいな空気感の中、じゃあこれは自分のものをしっかり考えて」
「パンパースって言い出したぞ」——この半ば嘲笑的な社内の空気を、タムカイは対話のプログラムによって変えていく。希望制ではなく「ほぼ強制で全員」という選択が、会社の空気を変えた。
タムカイ
「希望制にすると手を上げられない人が出ちゃうので、もうほぼ強制で全員でちょっとやったんだけど、そうすると会社の空気は割と変わるっていうことが見えた」
「パーパスって言葉を誰もバカにはしなくなった」——「変革するする詐欺」を実際に乗り越えた瞬間である。
パーパスカービング
タムカイが設計した、個人のパーパス(存在意義)を対話を通じて言語化するプログラム。「カービング」は彫刻を意味し、タムカイの父が彫刻家であることに由来する。ミケランジェロの「大理石の中にいる天使を自由にする」という言葉を理念的な支柱としている。
この対話の文脈では、パーパスカービングが「上からの押し付け」ではなく「内側からの掘り出し」であるという設計思想が重要だ。「自分のものをしっかり考えて、相手のものも一緒に考えて、お互いにいいねって言ったところに会社のやつがすっと入ってくる」——この順序こそが、「パンパースって言い出したぞ」という冷笑を超える鍵だった。
倉貫はこの姿を「トラリーマン」と評した。投資家・藤野英人が提唱した概念——組織にいながら虎(トラ)のように自由に動くサラリーマン。タムカイはまさにその体現者だった。
トラリーマン
投資家・藤野英人(レオス・キャピタルワークス代表取締役会長兼社長・CIO)が提唱した概念。サラリーマンの「サラ」を「トラ」に置き換えた造語で、群れず自立し、当事者意識を持って組織の中で自由に動く人物を指す。虎が単独で獲物を仕留めるように、スキルと判断力を磨きながら組織内で高いパフォーマンスを発揮する働き方を表現している。
この対話の文脈では、タムカイは「トラリーマン」の中でもさらに独自の位置にいる。仲山が「楽天が大きくなる途中に謎の位置を確立した」のに対し、タムカイは大企業の「エアポケット」を見つけては移動し、個人活動と全社変革を往復する。固定された居場所を持たないからこそ、どこにでも現れ、どこでも機能する——それは「トラリーマン」の進化形とも言える。
タムカイが語る大企業活用の本質は、二つの数字に集約される。ラクガキコーチとして7-8年かけて到達した受講者数は約1万人。パーパスカービングとして全社展開した場合は、3年で10万人。しかもそれは「一つの閉じた中」で行われる社会実験だった。
倉貫さん
「十万人って、その新規事業やる時に、マーケットに十万人集めるって、もうまずめちゃくちゃ大変なことが、普通に全社の活動としてやれるって、その可能性めちゃくちゃあるなっていう感じはする」
タムカイ
「富士通という会社の一番良かったところはみんなが聞いて、一番硬くて、でかくて、面白くなさそうなJTCだったっていうところでもあって」
「面白くなさそうなJTC」——この自虐が、逆説的にタムカイの活動の価値を高める。富士通でそれができるなら、どこでもできるのではないか、という説得力。倉貫が指摘する「そこでやってるっていうのが希少性」とは、まさにそのことだ。
話はここで、一見些末に見える「水玉の服」というトピックに向かう。しかし、この話題がこの回の全体を統合することになる。
タムカイ
「十年。これも2011年から15年前ぐらいから、毎日水玉の服を着ている人になっていて」
仲山さん
「最初の頃だって水玉のグラレコの人だと思います」
「水玉のグラレコの人」——これ以上ないパーソナルブランディングだ。しかしタムカイ自身は、それを「戦略性」の産物として語る。
タムカイ
「社外で知り合いを作りたいし、何か自分はやっていきたい時に覚えてもらうのに、なんかないかなと思ったら、たまたま水玉の服を着てた日があって、たまたまそれで2回目会った人があ、水玉のって言ったんで、じゃあって言って。それからずっと水玉っていう」
「たまたま」から始まり、「じゃあ」で定着する。この軽さが、タムカイの行動原理の核心だ。偶然をキャッチし、瞬時にその可能性を見抜き、即座に実装する。
そしてここで、ストレングスファインダーの結果が共有される。タムカイの上位資質は「戦略性」「着想」「行動力」「未来志向」「最上志向」。倉貫は即座に反応する。
倉貫さん
「戦略性と最上志向は僕一緒ですね」
タムカイ
「僕も学長と着想をかぶって」
倉貫さん
「学長もっとかぶってました」
三人の資質が交差する。タムカイの「着想」は仲山と重なり、「戦略性」は倉貫と——そして仲山とも重なる。「戦略性」は三人に共通する資質だった。この回のザッソウが初対面にもかかわらずスムーズに進んだ理由の一端が、ここに見える。
タムカイ
「ちょっと会社員としてやろうとすると、常に着想してもっと良くしたいって思っちゃうんで、いや、いいんじゃないのとかって言われることはよくあるんですけれど」
「いいんじゃないの」——現状維持を好む組織の中で、「もっと良くしたい」という衝動は時に煙たがられる。この小さな摩擦の積み重ねが、タムカイをエアポケットへと向かわせたのかもしれない。
ストレングスファインダーと資質の組み合わせ
ギャラップ社が開発した才能診断ツール。34の資質の中から上位5つを特定し、個人の強みを言語化する。重要なのは個別の資質よりもその「組み合わせ」である。
この対話の文脈では、「戦略性×着想」という組み合わせがタムカイの行動様式を説明する鍵となっている。「着想」は新しいアイデアやつながりを瞬時に見出す力であり、「戦略性」はそのアイデアの実現可能性を即座に評価する力だ。水玉の服の例が象徴的で——着想(水玉を着てみたらウケた)から戦略性(じゃあずっと着よう)への転換が、ほぼ無意識に行われている。とりわけ注目すべきは、「戦略性」が倉貫・仲山・タムカイ三人に共通していた点だ。異なる文脈で「戦略性」を持つ三者が同じ場に集まったことが、この回のザッソウを特別なものにした。
タムカイの話を受けて、倉貫は自身の起業経験を重ねる。TISで14-15年勤務し、社外の仲間を作り、社内ベンチャーを立ち上げ、最終的にMBOで独立した。
倉貫さん
「いつ辞めても大丈夫だなと思えたら、めちゃくちゃ会社に対して強く出れるんですよね。自分自身が安全でいられるから、対等に会社と話ができる」
倉貫さん
「裸一貫でいることよりも、やりたいことを実現するために使えるものは全部使った方がいい。大企業との関係性も自分の能力の一つ」
MBO(マネジメント・バイアウト)
経営陣が自社の事業や株式を買い取って独立する手法。倉貫の場合は、TISの社内ベンチャーとして立ち上げたソニックガーデンを、自ら買い取る形で独立させた。日本のIT業界においては比較的珍しいケースである。
この対話の文脈では、MBOという選択肢自体が「大企業の器を活用するキャリア」の一つの到達点として語られている。「裸一貫で起業する」のではなく、会社のリソースで事業を育て、十分に成長した段階で買い取る——この戦略は、タムカイの「個人活動に会社を巻き込む」アプローチと通底するものがある。倉貫もタムカイも、大企業を「敵」ではなく「器」として捉え直した人物だ。
「使えるものは全部使う」——この実利的な宣言は、スタートアップ礼賛の風潮に対する静かなアンチテーゼだ。タムカイもまた、この共振に応じて自身の発見を語る。
タムカイ
「僕、多分、社内の誰よりも人として人と会ってるんだろうなと思うんですよね。社長に直談判って言った時に、いろんな社員の人ってもう恐れ多いとか、わあ怖いとかって言うんですけど、人だから、人としてリスペクトを持っていれば、別にその人はそれだし」
「人だから」——この一語に、タムカイの対人哲学が凝縮されている。役職ではなく人として向き合う。「会社という組織にとらわれ始めると、だんだん人の上下で何かを考え始める人がいる」——その傾向を、社外での活動が矯正してくれたのだとタムカイは振り返る。
倉貫さん
「学長と知り合ってから楽天のイメージだいぶ変わりましたからね。楽天といえば三木谷さんのイメージだけど、学長のフィルター通して見た時の楽天が全然違ってくる」
学長のフィルターを通して見た楽天と、タムカイのフィルターを通して見た富士通。ブランディングとは、外側の印象ではなく、中の人が語る物語によって変わるものだ——この回の底流にあったテーマが、最後にさりげなく浮上する。
パーソナルブランディングと企業ブランド
個人のアイデンティティと所属企業のブランドイメージは、しばしば緊張関係にある。個人が強くなりすぎれば企業ブランドに従属しなくなり、企業ブランドが強すぎれば個人の独自性が埋没する。
この対話の文脈では、タムカイ・仲山・倉貫の三人がそれぞれ異なる形でこの緊張を解消している。仲山は「楽天大学学長」という肩書きを手放さなかった。倉貫はMBOで企業そのものを自分のものにした。タムカイは「水玉のグラレコの人」というパーソナルブランドを確立しつつ、富士通という器も活用し続けている。三者三様のアプローチが、「大企業×個人」という一つのテーマに対する多声的な回答を形成している。
倉貫さん
「ブランディングってこうね、一見すると、その外側だけで見ると、こう見えてしまうものが、やっぱ中の人と話すと全然変わってくるなっていうのは、ありますね」
「十分、タムカイさんの半生を聞いて」——倉貫のこの一言が、第1回を締めくくる。初対面の二人は、30分で「同じリングに立った」のだ。
この第1回を通じて浮かび上がるのは、「戦略性と着想の人」というタイトルが、単なるストレングスファインダーの資質名を超えた意味を持っているということだ。
タムカイの人生には、繰り返し現れるパターンがある。偶然の出来事——テント泊、水玉の服、友人からの「絵を教えて」——をキャッチし、瞬時にその可能性を読み取り、戦略的に展開する。しかしその「戦略性」は、冷徹な計算ではなく、「しゃあない社会人始めるか」「じゃあ」「一人じゃ無理じゃねえか」といった、どこか力の抜けた言葉とともに発動される。
倉貫が共振したのは、おそらくこの「力の抜けた戦略性」だった。裸一貫で起業するのではなく、使えるものは全部使う。個人の活動と会社の活動を対立させるのではなく、自然につなぐ。その姿勢は、スタートアップ文化が称揚する「覚悟の物語」とは異なる、もう一つのキャリアの可能性を示している。
仲山が一歩引いた場所から見守っていたのは、この共振がどこまで深まるか、ということだったのかもしれない。初対面の二人が、30分の対話で「同じリングに立った」と言い合える関係に至ったこと——それ自体が、ザッソウの持つ力を体現していた。
第2回では、この「着想」の側面がさらに掘り下げられる。「考えるとは何か」を考える——三人のこじらせた思考プロセスが、制約と創造性の関係をめぐって花開くことになる。