ラクガキみたいに生きる——衝動と名付けが拓く「次の一歩」

アフレイタスの衝動、ソニックガーデンの後付け、ミケランジェロの彫刻

ザッソウラジオ #171 2025年5月21日 倉貫義人 ・ 仲山進也 ・ タムカイ(ゲスト)

Introduction はじめに——「次の一歩」をめぐる三人のザッソウ

ザッソウラジオは、ソニックガーデンの代表・倉貫義人と「がくちょ」こと仲山進也が、友人をゲストに招いて「雑な相談」のザッソウを重ねるポッドキャストである。2025年5月のゲストは、ラクガキライフコーチ・デザイナーのタムカイ。第1回では半生と「戦略性と着想」の資質が、第2回では言葉遊びと抽象化による「考え方の考え方」が語られた。

最終回となる第3回は、三人の対話が最も「ザッソウらしい」領域に踏み込む。タムカイが持ち込んだのは、「次の一歩」をめぐるリアルタイムの逡巡だった。目的(パーパス)から始めるのか、衝動(インパルス)に従うのか。名前は先に決めるのか、後からついてくるのか。中年の危機をくぐり抜けた倉貫と、組織図上から消えかけている仲山が、それぞれの「答えの出し方」で応答する。

本ドキュメントは、ザッソウラジオにタムカイがゲスト出演した3回シリーズの第3回(最終回)である。第1回「テントの中で始まる戦略——偶然と打算が織りなす大企業デザイナーの冒険」、第2回「言葉の地層を掘る手つき——三人の『こじらせ思考』が暴く知性の正体」と併せてお読みいただきたい。

Chapter 01 第1章:塗り絵を捨てて線を引く——ラクガキライフコーチの誕生
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タムカイは、第2回の振り返りから始めた。「考えるとは何か」という高度に抽象的な問いを投げ込んだことへの、ある種の弁明だ。

タムカイ

「結局こういうことが話せる人と知り合っていくのが楽しくて、会社の外に出かけて行ってるっていうのはいっぱいあるので」

タムカイ

「初対面だけど、ザッソウラジオしっかり聞いてきた人間としては大丈夫だろうというアクセルで投げ込んでみたんですが」

「大丈夫だろうというアクセル」——リスナーとして番組のトーンを知り尽くしたタムカイは、初対面の倉貫に対して「こじらせた問い」を投げても受け止めてもらえるという確信があった。これは第1回の「テントの友情」と同じ構造だ——「ちゃんとしない」選択が、最も深い対話を生む。

倉貫が「他にここ最近ホットな話題は」と水を向けると、タムカイは肩書きの変遷を語り始めた。

タムカイ

「ラクガキライフコーチっていう肩書きになってるんですけど、これ、もともとラクガキコーチだったんですね。ラクガキのコーチをしますだったり、コーチング的なものをラクガキを通してやりますだったんですが、最近自分でラクガキライフコーチ——もともとそのラクガキ講座の名前をハッピーラクガキライフって自分で名前をつけてたんで、あれ、なんだと思ったら、あ、そうか、俺、自分の人生がラクガキみたいなもんだと思ってんだなって感じたんですよね」

「ラクガキコーチ」から「ラクガキライフコーチ」へ。この一語の追加は、タムカイの活動の拡張を意味している。ラクガキを教えるのではなく、ラクガキのように生きる——その実践者としての自覚が、「ライフ」という言葉に結晶した。

ラクガキライフコーチ

タムカイが名乗る肩書き。「ラクガキコーチ」(ラクガキのスキルを教える人)から「ラクガキライフコーチ」(ラクガキ的に生きることを提案する人)への進化は、スキル伝達から生き方の提案への射程の拡大を示している。「ハッピーラクガキライフ」というワークショップ名が先にあり、そこから遡及的に「自分の人生がラクガキみたいなもん」という自覚が生まれた。

この対話の文脈では、この肩書き変遷自体が、タムカイの思考法——「言葉が先にあり、意味が後からついてくる」——の実例になっている。ワークショップ名の中にすでに「ライフ」があったのに、それが自分自身の生き方を指していたことに後から気づく。言葉が、発した本人すら気づいていない意味を先取りしていたのだ。

タムカイはさらに、自身の発見をメタファーとして展開する。

タムカイ

「塗り絵みたいな生き方ってやっぱあるなと思っちゃったんですよね。線が描かれてて、対象物があるので、そのキャラクターと同じ色、同じ場所に綺麗に塗っていく。アレンジするっていう楽しさを見つける人もいて、赤いキャラだけど青くしてみようみたいな。っていうのもあるんですけど、いや、そもそも塗り絵のあの線が嫌な方だったんだ、俺って思う」

「塗り絵」と「ラクガキ」——二つの生き方のメタファーだ。塗り絵は、誰かが引いた輪郭線の中を丁寧に塗る。正解がある。きれいに塗れば褒められる。アレンジの余地はあるが、線そのものは動かせない。一方、ラクガキは白紙から始まる。線を引くのは自分だ。正解はない。しかしその代わり、自分だけの形が生まれる。

第2回の「正解→解釈」の議論が、ここで生き方の次元に接続される。塗り絵は「正解」の世界、ラクガキは「解釈」の世界。タムカイは後者を選ぶ——というよりも、後者が自分の本性だったことに気づいた。

塗り絵とラクガキ——二つのキャリアモデル

キャリア理論において、「計画型キャリア(planned career)」と「偶発型キャリア(emergent career)」の二項対立は古くから議論されてきた。前者はゴールを設定し、そこに向かって計画的にステップを踏むモデル。後者は環境との相互作用の中で、偶然の機会を活かしながら進むモデルである。

この対話の文脈では、タムカイの「塗り絵vsラクガキ」のメタファーは、この二項対立をより感覚的に捉え直している。塗り絵は計画型——線(キャリアパス)が与えられ、その中で色(スキル・経験)を塗っていく。ラクガキは偶発型——白紙の上に自分で線を引く。しかしタムカイは「アレンジする人もいる」と第三の道にも言及しており、これは第1回で語られた「エアポケット」の活用——大企業という塗り絵の中にラクガキの余白を見つける——に対応している。

タムカイ

「ラクガキみたいに生きるってなると、これからどうしていこうみたいなこともやっぱ思いますね。年齢も多分倉貫さんよりもちょっとだけ下ぐらいなので、この年齢からあと何年経つとこのぐらいでみたいなのを考えた時に、いや、会社員以外も全然あってもいいかもなって思ったりもしますし、会社も最高だしみたいなので、すごいどうしようって思ってる」

「会社員以外も全然あってもいい」と「会社も最高だし」——この両義性が、タムカイの現在地だ。第1回で語られた「使えるものは全部使う」姿勢と、「ラクガキみたいに生きたい」衝動が、45歳の分岐点でぶつかり合っている。

Chapter 02 第2章:45歳のトンネル——「しょうがない」から始まる再起
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タムカイの逡巡を受け、倉貫は自身の「中年の危機」を率直に語り始めた。

倉貫さん

「僕はね、40代、45から50の5年間ぐらいは、結構辛い年でしたね。その5年間はトンネルの中というか、やっぱりなんか、50近づくって、この先何がどこまでできるんだろうかみたいな。働ける年数もタイムリミットもしかしたらあるかもしれないし。一年に一個なんかプロジェクトやるにしても、あと何回やれるのかみたいなとかを考えた時に」

倉貫さん

「今やっているのが満足ないかっていうと満足あるんですけど、本当なんかとはいえ、自分のやってきたことは自信でもあるけど、まだまだだなみたいな気持ちもありみたいなので、よく言う中年の危機っていうらしいですけど、僕はもうバチバチにそんなになる人間だと思ってなかったですけど、バチバチになり、定期的にやるこのザッソウラジオが僕の癒しでしたね」

中年の危機(Midlife Crisis)

エリオット・ジャックが1965年に提唱した概念。人生の折り返し地点で、自身の死すべき運命(mortality)を初めて実感し、それまでの生き方や価値観を根本的に問い直す心理的プロセスを指す。エリク・エリクソンの発達段階論では、この時期は「生成性(generativity)対停滞(stagnation)」の葛藤として位置づけられる。

この対話の文脈では、倉貫の告白が注目に値する。ソニックガーデンという成功した会社を経営し、著書もあり、ポッドキャストのホストも務める——外から見れば「中年の危機」とは無縁に見える人物が、「バチバチになった」と率直に認めている。「タイムリミット」「あと何回やれるのか」という問いは、残り時間の有限性への覚醒であり、ジャックが言う「死すべき運命の実感」そのものだ。そしてザッソウラジオという「雑な相談」の場がその癒しになったという告白は、孤独ではなく対話が危機を和らげることを示している。

タムカイはこのトンネルの「形」を問うた。

タムカイ

「トンネルって、水平になりがちだけど、もう40ぐらいガンって落ちて、ゆっくり51まで50までかけて上がっていくタイプのものなのか。ズブズブズブズブいって、どっかで1回底を打って帰ってくるタイプの。最後にもういいやってポンって上がったのか。三つの動きだと、どれだったんですか」

この質問自体が、タムカイの「三つ出す」思考法の実践だ。トンネルを三つの形状——急落→漸復型、漸降→底打ち型、諦め→跳躍型——に分解して選択肢を示す。倉貫の答えは二番目に近かった。

倉貫さん

「僕はなんか気づいたらズブズブ、落ち込んでみたいな。落ち込んでる状態の中で、日々生きてる中でいいこともあるので、時折元気になったりもするんですけど、ずっと低調みたいな状態が続き、でも本当50近づくにつれて、いろいろ吹っ切れた中で、しょうがない、こうしようとか、会社のことはこう考えようみたいなことが、ようやく決められたみたいな感じになった」

「しょうがない、こうしよう」——第1回の「しゃあない社会人始めるか」と響き合う言葉だ。タムカイも倉貫も、人生の転機を「覚悟の宣言」ではなく「しょうがない」の受け入れから始めている。大きな決断は、力を込めた瞬間ではなく、力を抜いた瞬間に訪れるのかもしれない。

「しょうがない」の哲学

日本語の「しょうがない(仕方がない)」は、諦めの表現として否定的に捉えられることが多い。しかし心理学者の河合隼雄は、「あきらめ」の語源が「明らめる」——事態を明らかに見る——であることを指摘し、日本文化における「あきらめ」が単なる断念ではなく、現実を直視した上での受容であると論じた。

この対話の文脈では、倉貫の「しょうがない、こうしよう」は、この「明らめる」に近い。5年間のトンネルの中で、抗うのではなく受け入れる。その受容が、新しい行動を可能にする。タムカイの「しゃあない社会人始めるか」(第1回)と合わせて、二人の「しょうがない」は、諦めではなく次のステージへの切り替えのスイッチとして機能している。

タムカイは、中年の危機に関するコンテンツがインターネット上に蓄積されていることにも触れた。

タムカイ

「五年、十年前に見なかったタイプのコンテンツがめっちゃあるし。一個広告で触ったらずっと出てくるから、なんか予防ができてるっていうか、ああ、これだなっていうのも思う」

タムカイ

「これだということは、一度全部手放した方が楽なのではないかみたいなのもあって」

「予防ができてる」——先人のコンテンツがガードレールとして機能している。そして「全部手放す」という選択肢が、すでに視野に入っている。しかしタムカイはそこに留まらない。

タムカイ

「自分で会社を作ればいいんじゃないかは、やっぱり発想としては出てくるんですね」

タムカイ

「十年ぐらい個人事業主としても仕事をしているので、起業するっていう発想になった時、今までずっと起業ってよくわかってなかったんですけど、周りの人からそれが起業だよって言われて」

倉貫さん

「もうしてるよみたいな」

「それが起業だよ」——周囲からの指摘で、すでに自分が「起業している」ことに気づく。ラクガキ講座を10年以上にわたって個人で運営してきた行為は、法的な形式はともかく、実質的には起業に他ならなかった。

Chapter 03 第3章:パーパスという毒、インパルスという薬——目的と衝動のあいだ

話題は、タムカイの核心的な問いへと移る。

タムカイ

「パーパスって話をして。僕自身もそれを掲げて、自分でいろんな活動をしたり、個人の仕事をしたりしてるんですけれど、目的から始めるって実は違うんじゃないかなと思っていて。目的があるから始めるというよりも——これも韻を踏み始めたら見つけた言葉で、パーパスに僕、多分対応するのがインパルスって言葉だって定義したんですね。インパルスって衝動っていう言葉で」

パーパスとインパルス

パーパス(purpose)は「目的、存在意義」を意味し、近年のビジネス界では組織や個人の行動指針として広く語られている。インパルス(impulse)は「衝動、衝撃」を意味し、一般には計画性の対極にあるものとして位置づけられる。

この対話の文脈では、タムカイが「韻を踏み始めたら見つけた」と語っている点が重要だ。purpose と impulse は語尾の -pulse を共有する。脈動を意味するこの語根は、パーパスが「持続的な脈動」であるのに対し、インパルスが「一回性の脈動」であることを示唆する。第2回で論じられた「制約としての韻」がここでも作動しており、韻という制約が、パーパスの対概念としてインパルスを発見させた。タムカイの「目的から始めるのは違うんじゃないか」という問いは、10万人にパーパスカービングを届けた本人だからこそ持ちうる疑義である。

タムカイ

「うわ、作りたいとか、うわ、やってみたいって言ってガッてやった結果、みんなから目的とかを求められて、こういうことですねって。何やってるんですかって聞かれるから、世界の創造性のレベル一つ上げてますってなったりとか。水玉のシャツも最初着た時は、これかわいいやんって着てたら、なんでいつも着てるんですかって言われて、目的とかストーリーを話すんですけど、本当の理由をそこにはなくて」

「本当の理由はそこにはない」——パーパスを掲げて活動してきた本人が、パーパスの前にはインパルス(衝動)があったと告白する。水玉の服も、ラクガキ講座も、パーパスカービングさえも、最初の一歩は「やりたい」という衝動だった。目的は後からついてきた説明にすぎない。

タムカイ

「なんでみんなでパーパス考えようとか目的は何っていう問いを人に発しながら、本当かってなって。俺は毒を撒いて薬を売ってるんじゃないか——いや、そんなこともないなみたいなの思うんですけれど」

「毒を撒いて薬を売る」——パーパスの重要性を説きながら、自分自身はインパルスで動いている。この矛盾を、タムカイは自嘲的に語る。しかしこれは矛盾ではないのかもしれない。インパルスで始めたことが、振り返ればパーパスを持っていた——その「後からの発見」こそが、パーパスカービングの本質だからだ。大理石の中にいた天使は、最初から彫刻家の前にいたわけではない。衝動的に鑿を入れた先に、天使が現れたのだ。

エフェクチュエーション(Effectuation)

サラス・サラスバシーが提唱した起業家的意思決定の理論。従来の「目的を設定し、手段を選ぶ」因果論的アプローチ(コーゼーション)に対し、「手元にある手段から出発し、結果を受け入れながら進む」アプローチを体系化した。「余裕のある損失」「クレイジーキルト」「レモネードの原則」などの原則が知られる。

この対話の文脈では、仲山がイニエスタの例を引きながらエフェクチュエーションに言及している。「ただやったらいい感じになりましたみたいな人がインタビューを受けて、やはり夢を持つことが大事ですとか言っちゃったりとかするから、ああいう後付けよくないなって思って」——この指摘は、パーパスがしばしばエフェクチュエーション的に形成された行動の「後付け的言語化」であることを示唆している。タムカイが感じた「毒を撒いて薬を売る」感覚は、コーゼーション(パーパス=目的設定)とエフェクチュエーション(インパルス=衝動的行動)の間の本質的な緊張を体現している。

仲山は、この議論にイニエスタの逸話を持ち込んだ。

仲山さん

「イニエスタに誰かが質問して、プレイするときに何考えてんのかみたいな。どんなふうに判断してんのかみたいなこと言われて、あんま何も考えてないみたいなこと言ったらしい。それはどういう意味かっていうと、今までに大量の経験、体験をしてきていて、自分の中でこういう時はこうしたらいいみたいな価値基準も、はっきりしてるわけで。なので、周りの状況の入力に対して、自分はその良いプレーとはみたいな価値基準が常に自分の中で完成してるから、ただそれに入力に合わせて取るべき姿勢なり行動をとっているだけなので、考えてない」

仲山さん

「結構それに近いかも。あんまり考えないで、周りの入力に合わせて」

「何も考えてない」——大量の経験が暗黙知として蓄積され、意識的な思考を介さずに最適な行動が出力される状態。これは第2回で語られた仲山の「パターン認識」の極限形態だ。

イニエスタと暗黙知の自動化

アンドレス・イニエスタは、FCバルセロナとスペイン代表で活躍したサッカー選手。2010年ワールドカップ決勝のゴールでも知られる。マイケル・ポランニーの「暗黙知(tacit knowledge)」の概念では、「我々は語ることができるより多くのことを知っている」とされる。熟達者の行動は、明示的な知識ではなく、身体化された暗黙知によって駆動される。

この対話の文脈では、イニエスタの「何も考えてない」は、仲山自身の行動原理の比喩として引用されている。第1回で倉貫が「究極のファシリテーション——いるだけで周りが進む」と形容した仲山の姿勢は、このイニエスタ的な暗黙知の自動化と同型だ。そして仲山が「後付けよくないな」と語るのは、暗黙知で動いている行動を、コーゼーション的な言語(目的、戦略、ビジョン)で後から説明することへの違和感を表している。

タムカイは、仲山の指摘に共振しつつ、自身の経験を重ねる。

タムカイ

「後付けの方が、でもなんかしっかり形になってたりとか、ちょっとこうしてある。みんな先にそっち見ちゃうし」

仲山さん

「わかりやすくデザインしちゃうんですよね」

タムカイ

「日々、これなんかざわっとするなと思ったことをやって、やっぱりざわっとしたってことはこうだったなっていう、ちょっとあの入出力も僕もよくありますし。あれ、これそうじゃないんじゃないみたいなことを思うための蓄積を45ぐらいまでやってきたなとは思っていて」

「ざわっとする」——衝動の初期信号をキャッチし、行動に移し、結果から意味を発見する。この「入出力」のサイクルが、タムカイの45年間の蓄積の正体だった。

タムカイ

「材料溜まったから、衝動もでかくなってきて、うっつって動いてみるのも面白いんじゃないかなってるっていう」

「材料が溜まったから衝動もでかくなる」——蓄積とインパルスは対立しない。むしろ蓄積が衝動を育てる。経験の海が深くなるほど、次の一歩への衝動もまた大きくなる。

Chapter 04 第4章:名前が先か、実態が先か——三つの社名に宿る哲学
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話題は、タムカイが「夜な夜な考えている」という会社名の構想に移った。ここから、三つの社名の由来が次々と語られる。

タムカイ

「夜な夜な自分が会社を作るとしたら、会社名何にするかなとかって考えるわけですよね。で、仲山考材かっけえなつって。ソニックガーデン、どういうことなんだって調べて、なるほどつってなったりとかして。世の人はどうやって社名を考えているのかっていうの気になる」

まず「仲山考材」。

倉貫さん

「仲山考材って本当の仲山鋼材でしょ」

仲山さん

「うちの実家の家業」

倉貫さん

「家業が仲山鋼材」

仲山さん

「コウが違うということですね。考えるに材料」

倉貫さん

「本当の鋼材の方だったの」

仲山さん

「それで、やってること——考える材料を作ってるって言えるなと。これでいいなって思いました」

仲山考材

仲山進也の実家の家業名。「鋼材」の「鋼」を「考」に置き換えた屋号。仲山はこの名前を見て、自身の活動——「考える材料を作っている」——と重なることに気づき、「これでいいな」と腑に落ちた。

この対話の文脈では、仲山考材のエピソードが「名前と実態の関係」というテーマの導入になっている。意味を込めて名前をつけたのではなく、既にある名前の中に意味を発見した。この「発見」の構造は、タムカイの「ハッピーラクガキライフ→ラクガキライフコーチ」の気づきと同型であり、パーパスが後から浮かび上がるというこの章全体のテーマを予告している。

仲山の返答はさらに本質的だった。

仲山さん

「制約条件がないとね」

仲山さん

「制約条件になんか意味があるなって思えていれば、結構これでいいかもって思える気がする」

第2回の「制約と創造性」の議論が、ここで社名という具体的な問題に再帰する。社名は制約条件だ。名前がつくことで、その名前に合致する活動が促され、合致しない活動が抑制される。しかし、その制約に「意味がある」と思えれば、それは束縛ではなくフレームになる。

次に「ソニックガーデン」。倉貫は社名の由来を詳細に語る。

倉貫さん

「もともとは僕がガーデンっていう言葉がソフトウェア開発と似てるっていうのは思ってはいて。植物とか野菜育てるのに、どれだけ人を増やしても早くならないですね。きゅうり一本育てるのに百人農家を集めたら明日できるかっていうと、できないと。一定の時間と養分と水やりと、面倒を見ることで、ようやく畑に実がなる花が咲く。ソフトウェア開発も同じ」

倉貫さん

「ソニックっていうのは、もともとは前の会社で社内ベンチャー立ち上げる時にチーム名が必要だっつって。一緒にやっている、今副社長やってくれてる方が、大好きなゲームがあってって言って、あの例のセガのゲームですみたいな。で、じゃあそれで行こうっつって。いよいよ起業するぞっつった時に、さすがにそのまま社名にはしづらいなっていうのがあって、僕がずっと前から考えているコンセプトのガーデンをくっつけた」

ガーデンは倉貫の哲学(育てるように開発する)、ソニックは副社長の好きなゲーム。一方は深い思想、もう一方は偶然のチーム名。この「異質なもの同士の接合」が、ソニックガーデンという社名を生んだ。

倉貫さん

「公式的にはその両立をしているいい名前ですみたいな感じだったけど、実はそういうことで。後付けのやつを言い続けたら、なんかそっちが本当になってくるし、自分らもそうかなと思ってくるし、実際そうだなと思えてくるので。鰯の頭も信心みたいな話で、なんでもいいんだけど、それをありがたがって言い続けてると、本当にありがたいものになるんじゃないか」

鰯の頭も信心——名前のパフォーマティヴィティ

言語哲学者J.L.オースティンの「パフォーマティヴ(行為遂行的)」の概念は、言葉が現実を記述するだけでなく、現実を創り出す機能を持つことを指す。「汝を夫婦と宣言する」という発話が婚姻を成立させるように、言葉自体が行為となる。

この対話の文脈では、倉貫が語る「言い続けるとそっちが本当になる」は、このパフォーマティヴィティの日常的な実践だ。ソニックガーデンという名前は、最初は「セガのゲーム+ソフトウェアの庭」という寄せ集めだった。しかし言い続けることで、チームのアイデンティティ、経営哲学、採用基準、対外的ブランドの全てがその名前を基点に構成され直した。「鰯の頭も信心」は、信じることで対象に価値が宿るという日本の諺だが、倉貫はそれを経営の実践として語っている。

タムカイは、ソニックガーデンのウェブサイトで「ソニック」の部分に「なんかあるな」という予感を抱いていたことを明かす。

タムカイ

「ソニックガーデンのホームページ見てて、由来見てて、ソニックのところになんかあるなっていう予感がしていて。で、あえてこの話題の中で聞いてみたら、本当だったっていうことに気づいた」

「予感」——言語化されていない違和感をキャッチする。第2回のタムカイの思考法——「違和感を作ってフックにする」——が、ここでは他者の社名に対して発動されている。公式の「きれいな由来」の裏に、もう一つの物語があるのではないかという直感。

そしてタムカイ自身の社名候補——「アフレイタス」が語られる。

タムカイ

「ずっと辞書とか見るのが好きでしたから。アフレイタスっていう言葉が出てきて。で、これが a strong creative impulse って書いてあって。超強い衝動。創造的衝動で。まあ特に神の啓示みたいなものから受けるものが」

タムカイ

「英語話者の間でもそんなに使われている言葉ではないらしいっていうのが、いろいろ調べていくと、英語のエッセイが出てきて、僕も初めて見つけた言葉なんだけどねとかで書いてあったから、それはいいじゃん。検索してあんまり出てこないですし、あと漢字で書けるって気づいて。溢れるに致す。音聞いた時のなんか違和感のなさ、それもある」

アフレイタス(Afflatus)

ラテン語の afflāre(吹きかける)に由来する英語。「神的な霊感」「創造的衝動」を意味し、特に詩人や芸術家に訪れるインスピレーションを指す。日常的な英語ではほとんど使われず、文学や哲学の文脈で稀に登場する。古代ギリシャの「ムーサの啓示」に遡る概念。

この対話の文脈では、アフレイタスがタムカイの「パーパスvsインパルス」の議論の帰結として選ばれたことが重要だ。purpose でも impulse でもなく、afflatus——「吹きかけられる」という受動的な創造的衝動。自分の意志で始めるのでも、偶然に流されるのでもなく、「何かに吹きかけられて動き出す」。「溢れ致す」と漢字で書ける(溢出す=あふれいたす)という発見は、まさにタムカイの「言語の分解的思考」の産物であり、第2回で培われた言語感覚がキャリアの転換点で実を結んでいる。

タムカイ

「人にゆっくり話をして、だんだん今固まってる。ソニックガーデンみたいに固まっていってる途中なんですけど」

倉貫さん

「言い続けるとね、言い続けるとしっくりしてきますからね」

タムカイ

「だから、その言い出す覚悟がなかなか決まらなかったのが、もうつい3、4日前に」

名前を「言い出す覚悟」——社名を初めて他人に告げる瞬間は、名前に命を吹き込む行為に等しい。タムカイはその瞬間を、大親友との花見の席で迎えた。

タムカイ

「子供同士がずっと仲良い16年ぐらいの、もう仕事の話とか全然しない花見友達の家族と話してる時に、いや、実はこういう状況でこれが案でねって言って、何それってならなかったんで、まあいっかなんて」

「何それってならなかった」——仕事の文脈を共有しない「花見友達」の反応。それが逆説的に安心材料になった。ビジネスの論理で評価されない場所で、名前を口にする。子供の名前のように、最も私的な場所で最初の声を出す。

パーパスカービングという名前の由来も、この文脈でさらに深く語られた。

タムカイ

「パーパスカービングっていう、カービングっていうのを彫刻するという意味で。由来は僕の父親が彫刻をやっていて、彫刻家で。ミケランジェロの言葉の一つに、彫刻家っていうのは天使の像を作るんじゃなくて、大理石の中にいる天使を自由にすることなんだと。それがずっと残ってて」

ミケランジェロと「掘り出す」思想

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)に帰される言葉「大理石の中にすでに像は存在している。彫刻家の仕事は、それを解放することだ」。この思想は、創造とは「無から有を生む」行為ではなく、「すでに在るものを顕在化させる」行為だとする立場を示す。

この対話の文脈では、タムカイの父が彫刻家であるという事実が、この引用に個人的な重みを加えている。パーパスカービングが単なるビジネス用語ではなく、父の仕事を見て育った子供の身体的記憶と結びついている。そしてこの「掘り出す」思想は、第2回の仲山の「ネガティブスペース」——外側を描くことで本体を浮かび上がらせる——とも共鳴している。パーパスは「設定する」ものではなく「掘り出す」もの。インパルスに従って鑿を入れた先に、パーパスが姿を現す。

Chapter 05 第5章:週休4日という問い——反転する制約、手放す肩書き
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タムカイの具体的な構想が語られる。

タムカイ

「最近ネタ半分でいつも言ってるのは、週休4日の会社を作りたいんだっていうことでして。週休3日だと1日増やすだけだけど、週休4日だともはや反転し始めるので」

倉貫さん

「反転しましたね」

「反転」——週休4日とは、労働日より休日の方が多い状態だ。「休み」と「仕事」の主従が逆転する。これは単なる労働時間の削減ではなく、「働く」ことの定義そのものを問い直す行為だ。

週休4日と「働く」の再定義

2020年代に入り、週休3日制を導入する企業が増加しているが、週休4日はさらにラディカルな提案だ。労働日が3日しかないということは、プロジェクトの設計、会議の密度、成果の測定基準、そして「仕事とは何か」の定義そのものを再構築する必要がある。

この対話の文脈では、週休4日は第2回で議論された「制約と創造性」の応用として語られている。「どうやったらそれができるのかとか、そもそも休みとは何かってなる」——タムカイ自身が語るように、この提案は「答え」ではなく「問い」として機能している。週休4日という制約が、労働・休息・創造の関係を根本から問い直す装置になる。これはまさに、塗り絵(既存の枠の中で塗る)ではなくラクガキ(自分で枠を描く)的なアプローチだ。

タムカイ

「長くこう会社にいた分わかることもたくさん学びましたし、長くいたからこそ、一回問い直すのも面白いかもなって思う。一旦ちょっといいタイミングなので、自分なりの動きを増やしていこうと」

倉貫さん

「制約条件がつきましたね」

仲山さん

「ちょうど働き方が変わるタイミングになるんじゃないか」

ラジオの公開日という「制約」が、タムカイの行動を加速させる。第2回で論じた「制約が思考を広げる」というテーゼが、ここでは人生の転換点に適用されている。

仲山はここで、小阪裕司からのアドバイスを思い出す。

仲山さん

「小阪裕司さんが僕に言ってくれたのが、仲山さん、楽天の名前、楽天大学学長っていう名前、絶対自分からは手放さない方がいいよって言われて。自分自身が、裸一貫でいかに信用してもらえるかみたいなのを築き上げるまでにやっぱり苦労したから。今の楽天っていう名前は、仲山さんが入った時の楽天とは全然違う。世の中から見たら違ってんだから、それは軽く見ちゃいけないよ」

仲山さん

「なので、今もぶら下がってきております」

「ぶら下がってきております」——この軽やかな表現が、仲山のスタンスを端的に示している。しかし楽天側もまた、仲山をどう位置づけるか持て余しているようだ。

仲山さん

「久しぶりに楽天の社内の自分の所属部署を確認するっていうタイミングがあったんですけど、数年以上ぶりに組織図上のね。そしたら全然思ってもみないような所属に変わってました」

倉貫さん

「持て余したんでしょうね」

仲山さん

「肩書き役職もクリエイティブディレクターって書いてあった。なんかよくわかんないけど、あ、そうなんだと思って。自由だな」

「楽天大学学長」でもない部署に、「クリエイティブディレクター」という肩書きで——知らない間に組織図上のポジションが変わっていた。第1回のタムカイの「エアポケット」と同じく、仲山もまた組織の隙間に存在し続けている。ただし仲山の場合は、隙間を見つけるのではなく、組織の方が仲山の周りに隙間を作っているようにも見える。

肩書きの漂流——組織と個人の非対称性

大企業における肩書き(タイトル)は、本来は組織の中での役割と権限を明示するための装置である。しかし仲山のように、実態が肩書きを超えてしまった人物にとって、肩書きは単なるラベルに過ぎなくなる。逆に組織の側は、その人物をどこに位置づけるかを定期的に「再定義」しなければならない。

この対話の文脈では、仲山の「数年ぶりに見たら知らない部署にいた」というエピソードが、組織と個人の関係の非対称性を象徴している。仲山は変わっていない——「がくちょ」であり続けている。しかし組織図上の仲山は、楽天大学学長からクリエイティブディレクターへと漂流している。小阪裕司が「楽天の名前を手放すな」と助言したのは、この漂流の中でも「楽天大学学長」というアンカーが仲山の社会的信用を維持し続けることを見抜いていたからだろう。タムカイがこれから「アフレイタス」という社名を育てていく過程も、同じ構造を辿ることになるかもしれない。

Chapter 06 第6章:おしゃべりに花が咲く——掘り仲間とオンライン生体反応
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倉貫が「最後なんか」と締めに向かうと、タムカイは3回を通しての感想を語る。

タムカイ

「聞いてますから言うと、もちろんちょいちょい聞いてたんですけど、出るって決まると、聞き方が変わっちゃって、何を話そうってなって、めっちゃメモしてたんですけど、2回目を話したあたりで、メモの内容全部切れて、3回目のちょうど良かった」

「メモの内容全部切れて」——用意していた話題が2回で尽き、3回目は完全な即興になった。しかし「ちょうど良かった」。準備が尽きた先にこそ、最も本質的な話——パーパスvsインパルス、社名、中年の危機——が出てきた。ザッソウとは、準備を超えた場所で生まれる対話なのだ。

タムカイ

「やっぱりこう、考えすぎてる、考えてることを話せる人と話したいっていう欲はすごく高いので。まずここで楽しかったですし。告知事項はなんかこんなやつなんだけど、話してくれる人は募集中ですみたいな、一番の告知事項です」

「話してくれる人は募集中」——最も私的な「告知事項」が、最も普遍的な欲求を表現している。

収録後のトークで、倉貫は3回シリーズの感想を率直に語った。

倉貫さん

「なんかそのシンパシーというか、波長が合うっていうのもあるかもしれないですけど」

倉貫さん

「こういうこういう話ができる人がまずそんないないんじゃないですか。なんでそこ掘るのかなみたいな。を、一緒に掘れる人だっていうのは、掘り仲間、考え掘り仲間が増えたなという感じでした」

「掘り仲間」——倉貫がこの場で即興的に生んだ言葉だ。知識を共有する仲間でも、仕事のパートナーでもなく、「考える」という行為を一緒に掘り進める仲間。第2回の対話が「考えるとは何か」を三人で掘り下げるものだったことを考えると、この命名は極めて適確だ。

「掘り仲間」という関係性

友人、同僚、メンター、コーチ——人間関係のカテゴリは数多いが、「掘り仲間」はそのいずれとも異なる。共通の目的を持つわけでも、上下関係があるわけでもなく、ただ「掘る」——つまり思考を深める——という行為を共にする関係だ。

この対話の文脈では、「掘り仲間」は三人の関係性を象徴する言葉だ。タムカイ・倉貫・仲山の三人はストレングスファインダーの「戦略性」を共有し、さらにタムカイと仲山は「着想」も共有する。しかしそれ以上に、三人を結びつけているのは「考えるのをこじらせている」という共通の性向だ。世間では不要とされる問い——「人生二話とは」「豊かみとは」「パーパスは本当か」——を掘り続けることに喜びを見出す人たちの間にしか成立しない関係。

仲山は、タムカイとの久しぶりの再会について語った。

仲山さん

「会社の変革プロジェクト十万人に対して活動し始めたぐらいから、あんまオンライン生体反応が薄くなってたんですよね。段階がそれで。だいぶ久しぶりなのですが、そんな久しぶり感もなく。その感じがいいですね」

「オンライン生体反応」——仲山がSNS上で自らの存在を示すシグナル。タムカイが全社変革プロジェクトに没頭していた時期、SNS上の発信が減り、仲山からは「生体反応が薄い」状態に見えていた。そしてゲスト出演のきっかけも、この「生体反応」だった。

仲山さん

「フェイスブックにザッソウラジオのやつを投稿した時に、タムカイさんがいいねをつけましたみたいなのが出たので、そういえばみたいな。その場で連絡しました」

仲山さん

「ザッソウラジオ聞いてくれてるかくれてないかがわからないと声かけられにくい。ザッソウラジオって何ですかって言われると、もうちょっとしゅんとしちゃう」

「いいね」一つが、ゲスト出演という「偶然」を生んだ。第1回のラーフェスでの出会い、第1回のブロガーコミュニティでの「いつも絵描いてるから教えて」——タムカイの人生の転機は、常にこうした小さな信号のキャッチから始まっている。

オンライン生体反応と弱い紐帯

社会学者マーク・グラノヴェターの「弱い紐帯の強さ(The Strength of Weak Ties)」理論では、親密な友人よりも、緩やかにつながった知人の方が、新しい情報や機会をもたらすとされる。SNS上の「いいね」やシェアは、まさにこの「弱い紐帯」を維持するための最小限の信号だ。

この対話の文脈では、仲山の「オンライン生体反応」という表現が、弱い紐帯の現代的な形態を鮮やかに捉えている。タムカイの「いいね」は、内容への賛同というよりも「まだここにいますよ」という存在証明だった。そしてその信号を仲山がキャッチし、即座に「そういえば」と連絡した。デジタル空間での微かな脈動が、リアルな対話の場——このザッソウラジオ——を生んだのだ。

倉貫は最後に、AIとオンライン生体反応の未来を夢想した。

倉貫さん

「オンライン生体反応をサポートしてくれるAIとか欲しいです。僕の代わりにオンラインで生体反応を出してくれるAIを作りたいですね」

仲山さん

「それにいいね押してくれる人も代わりのAIだったりして」

倉貫さん

「AI同士でうまいことやってくれて、でも結局リアルで会った時にまたこんな話はできるので」

AI同士がオンラインでお互いの「生体反応」を交換し、人間はリアルで「掘り仲間」として会う——この半ば冗談のような構想には、デジタルとリアルの関係性への鋭い洞察が含まれている。オンラインの「いいね」が関係のメンテナンスなら、それはAIに任せてもいい。しかし「考えるとは何かを考える」ような対話は、どうしても人間同士でなければ成立しない。

Epilogue おわりに——衝動の先に、名前が咲く

3回のシリーズを振り返ると、一つの弧が見える。

第1回では「偶然と戦略」——テント泊、水玉の服、完コピ、エアポケット。偶然を戦略に変換するタムカイの半生が語られた。第2回では「言葉と構造」——ラクガキの「楽」、三つのQ、ネガティブスペース。三人の思考の手つきが開陳された。そして第3回では「衝動と名付け」——パーパスとインパルス、塗り絵とラクガキ、アフレイタス。次の一歩を踏み出すための「言葉」が、対話の中から掘り出された。

この弧を貫くのは、「名付け」の力だ。ラクガキ(楽しく描く)、パーパスカービング(掘り出す)、たまごち(魂のごちそう)、仲山考材(考える材料)、ソニックガーデン(音速の庭)、アフレイタス(溢れ出す)——三人は一貫して、言葉を「既成の意味の容器」としてではなく、「新しい意味を生み出す装置」として使っている。名前をつけることで、まだ形のないものに輪郭を与える。そして言い続けることで、その輪郭が実態になっていく。

倉貫が言った「後付けのやつを言い続けたら、そっちが本当になる」。仲山が言った「制約条件に意味があると思えれば、これでいいかもって思える」。タムカイが見つけた「アフレイタス——吹きかけられる衝動」。三つの言葉は、同じことを異なる角度から照らしている。目的は最初からあるのではなく、衝動に従って動いた後に、名前とともに現れる。

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「おしゃべりに花が咲く」——このタイトルは、倉貫のソニックガーデンの哲学そのものではないか。植物を育てるように、面倒を見て、時間をかけて、水をやる。そうすれば、やがて花が咲く。三人の30分×3回のザッソウは、まさにそのガーデニングだった。最初は初対面の遠慮があり、次は「こじらせた思考」のこと座交換があり、最後に「次の一歩」という花が咲いた。

タムカイは、「話してくれる人は募集中」と笑った。この3回シリーズを聴いた誰かが、「あ、この人と掘りたい」と思ったなら——それもまた、一つのアフレイタスだ。

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